映画「まぼろしの邪馬台国」を観て | 映画のページへ 随筆のページへ トップページへ FileNo.081107 |
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2008/11/12 「笑っていいとも」・・・・「メイクダウト」コーナー |
今日のメイクダウトは、おすぎ厳選の映画関連エピソード特集で、ゲストは映画「ハッピーフライ」から、綾瀬はるかさんと田辺誠一さんでした。この設問の中に「超難問にタモリが挑戦!大女優・吉永小百合のヒミツ」というのがあり、それを選択したのは、当然タモリさんでした。 その問題とは「吉永小百合さんが早稲田大学在学中に書き上げた卒業論文のテーマとは?」というもの。司会の千原ジュニアいわく「これは超難問も超難問。これを今から即興で三択クイズにします。簡単に言うとスタッフの嫌がらせです」 その即興でつくったタモリさんの三択クイズとは次の通りです。 (A)エピクロスとアナクシメネスとの間にある言語選択の類似性について (B)プラトンの自省録の中にあらわれた、政治と倫理の問題 (C)アイキュロスの「縛られたプロメテウス」におけるアテネの民主制について これが即興なんです。なんと見事なことか!!(会場は“すごい”の合唱でした) あまりの難しさにADさんが、ボードにそれを正確に書くことさえできませんでした。 正解は「(C)アイキュロスの「縛られたプロメテウス」におけるアテネの民主制について」でした。 正解発表のあと掲げられたパネルにはこう書いてありました。 ☆アイキュロス・・・古代アテネ三大悲劇詩人の一人 ☆アイキュロスの作品「縛られたプロメテウス」から読み取った当時のアテネの民主制について述べた難易度の高い論文 タモリさんもすごかったが、小百合さんのこの難易度の高い論文というのにも驚かされました。ちなみに、小百合さんのお父上は東大卒と聞いています。小百合さんも芸能界に入っていなければ、きっと“ミス東大”になっていたのでは・・・。 |
昭和60年に小百合さんが、ラジオ番組にゲスト出演したときのテープ
この番組は約40分ほどにわたり、サウンドトラックからのセリフやヒット曲をはさんで、小百合さんがデビュー当時の思い出や映画に対する思いを語った貴重な録音である。映画生活25周年で、前年「おはん」や「天国の駅」で数多くの映画賞に輝き、このあと「夢千代」や「玄海つれづれ」などの予定が入っていたころでものだ。カセットのインデックスカードは当時私が一番お気に入りの鈴木英人のイラストのものを使っていることからも、私がこのテープを大事にしていたことが伺える。 |
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このとき小百合さんはこんなことを言っている。 「・・・その齢、その齢なりの雰囲気を出していかないと人形になってしまいますので、生身の女を画面に出したいと思っているんです」 「・・・攻撃的と言うか、少しずつ今までの自分と違ったものを出していきたいなと思っているんですね。あまり気持ちが守勢にならないで、だからやってて面白い・・・」 いま聞いてみても、現在まで小百合さんの映画に対する考えや姿勢に、女優としての軸が微塵もぶれるところがない。そこが小百合さんのすごいところだ。上の言葉を今回の「まぼろしの邪馬台国」にあてはめたとしても全く違和感がない。 |
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小百合さんのゲスト出演が終わった後、パーソナリティがこんな会話をしている。 「吉永さんと長々と話をして大変気持ちがよかった。若いときにあの人は、デビュー当時からさわやかで、明るくて優等生的な感じがあって、いまだにそれを持っているという感じを受ける、と同時にだんだん感情的にふくらみが出てきたということを感じましたね」 「とてもはっきりとご意見をおっしゃる方だなということと、ご自分を客観的にご覧になっている」 「そうそう、ティーンの時代から頭のいい人だったんじゃないかなと思うけど、自分でやっているのを冷静に客観的に見ている面があってね、かってそのことを僕は感心したことがあったんですよ」 |
2009年カレンダー (前売り券に付いていた) |
島原鉄道 「まぼろしの邪馬台国」号 |
諫早駅に掲示されたポスター 「ようこそまぼろしの邪馬台国玄関口へ」 |
昭和40年頃の小百合さんと、エピソード(平凡及び平凡の付録より) | |
吉田学校の優等生
吉永さんが歌うスターの仲間入りをしたきっかけ、それは日活映画「ガラスの中の少女」の中で、小百合さんが歌わなければならないシーンがあったのです。 お母さんがピアノの先生をしているだけあって、小さいころからピアノも上手だし、声もきれいでした。そのころ日活のプロデューサーの間でしばしば話題になっていました。 ビクターの武田京子ディレクターに連れられて吉田正先生のお宅に行き、歌った曲が「北上夜曲」でした。きれいでかわいらしい声の印象が吉田先生の心に残り、レッスンに通う小百合さんはあっという間に吉田学校の優等生になりました。「いつでも夢を」「そこは青い空だった」と橋幸夫さんとのコンビが次々に生まれました。 |
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小百合さんとピアノ
日本でのすべてのおけいこごとは、六歳の六月六日から始めるならわしなっていますが、小百合さんがピアノを始めて弾いたのは、それよりも少し遅く五線紙の上に、大きなおたまじゃくしが四つ並んでいたのが大変印象深かったそうです。去年の7月、NHKの「黄金の椅子」で、はじめて小百合さんのお得意のベートーベンの「ソナタ」やその他のピアノ曲集がひろうされ、ファンや並みいる関係者をアッと驚かせました。 |
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