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FileNo.080705

私が小学校低学年だった頃、ラジオで「新諸国物語」という番組が放送されていた。これは、毎日夕方15分ぐらいの放送だったと思う。シリーズで放送されたのは「紅孔雀」や「笛吹童子」など全部で5作品だった。このシリーズの放送期間は、私の小学校時代と丁度重なる。現在60才代の人は、大抵ラジオにかじりついて聞いていたのではなかろうか。「まだ見ぬ国に住むと言う〜、紅き翼の孔雀どり〜」実になつかしい。ところで、何で突然「紅孔雀」なのかと言うと、先日の映画「インディ・ジョーンズ」を観た時、冒険活劇なら50年以上も前に、我々は夢中になっていた、とフッと思ったのである。「紅孔雀」も「インディ・ジョーンズ」も、基本的には同じである。「失われたアーク」では、アークが世界を支配するパワーを与えるとして、ナチスとの攻防が描かれている。「スリスタル・スカル」では、超常現象のパワーを軍事利用し、世界を支配しようとするソ連軍との攻防が描かれている。つまり、世界を支配できる宝の奪い合いで、最終的に悪は滅びるというパターンだ。

「紅孔雀」の内容をかいつまんで書いてみよう。この紅孔雀の財宝を得たものは、あらゆる権力を手に入れ、王の中の王になれる。この財宝をめぐって、正義の“白鳥党”と悪者の“されこうべ党”が戦う。その昔、百済の国に二人の王子がいた。二人は、その家に伝わる“白鳥玉”を欲していた。結局、白鳥玉は兄の王子が賜ることになる。ここで兄弟の争いが始まり、兄は海を渡って日本に逃れてくるが、弟も追って日本に来る。結局、弟は白鳥玉を手に入れることが出来ず、されこうべ玉をつくり、これを代々伝えることによって、白鳥党とされこうべ党は、延々と戦い続けることになる。時代は下り武士の時代、白鳥党の流れをくむ3人の武士は、南海に渡り、光の国メラアピ王国を建国する。しかし、その国もメラアピ国の財宝を盗もうとする悪者に滅ぼされる。そのとき、王女とともに財宝を船に積み日本に来て、吉野の山奥に隠す。その財宝を守っているのが紅孔雀である。そして、この物語の時代となり、紅孔雀の財宝をめぐって、那智(和歌山県)から吉野の山、瀬戸内海を舞台に物語が展開していく。

さて、物語の時代がいつかを考えてみよう。那智の代官・嘉門は若き日に、天正遣欧少年使節の従者として、ローマに行った。そこで、百歳を超える宣教師に“紅孔雀のかぎ”を渡される訳だが、それから30年後の話であるから、1612年ということになる。代官という職や短筒、ぎやまん屋敷などが出てくることからも間違いない。百済から二人の兄弟が、日本にやってきたのはいつだろうか。私は、百済から仏教が伝来したり、飛鳥文化を形成した6世紀頃としたい。そのころの交流から考えれば、日本に渡ってくることは自然の流れといえる。つぎに、3人の武士が南海の島にわたって、メラアピ国を建国するのだが、これはいつの時代だろうか。渡ったのが武士ということから10世紀以降と言うことになる。紅孔雀のかぎを持っていた宣教師は若き日、日本に来て昔からの言い伝えとして聞いていたことから、13世紀より後ではないと考える。そこで12世紀末、源頼朝に追われ吉野の山に逃げたことのある源義経ではどうだろう。義経と有力な武士が、当時未開だった琉球に渡って、メラアピ国を建国した。滅ぼされて日本に帰りついたのが、昔の記憶で吉野の山ということでどうじゃ。

当時「紅孔雀」は映画化された。今、映画化すれば「インディ・ジョーンズ」のように、実写とSFXの組み合わせで、かなりスリルにとんだ映像ができそうだ。どくろかずらの汁を飲んだ久美が、断崖絶壁で身動きもままならない小四郎に切りかかって、小四郎が千尋の谷に落ちていく場面なんかいい映像になりそうだ。幻術使いが二人も登場する。信夫一角は、土グモに変身したり、かささぎ童子は、大きなタコの怪物に変身したりと、SFX使いまくりだろう。当時の映画では、網の長者の娘・久美、実は京都たちばな大納言家の姫君なのだが、映画では高千穂ひづるさんが演じていた。そこで今、映画化するとすればこの久美役を誰が演じたらいいかを考えてみた。日見子に聞いてみると「そうねえ、まず条件として20才前後、“男まさり”で“気品”と“りりしさ”がないといけないわね。それと一番大事なのは“存在感”があることよ。今は時代がそうだから仕方がないけど、二十才前後はテレビ女優ばかりで、映画女優がいないわね。存在感なら松たかこさんくらいはあってほしいわね」というご託宣だ。そうだな、二十才前後を取っ払うなら、菊川怜さんなんかどうだろう。

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「冒険王」のバッジ
キャラクターは
〜木刀くん〜
「小学館」のペンダント
「中学生の友」に書道作品
が掲載された時の賞品
「小学館」のバッジ
懸賞クイズに応募
した時の賞品
昭和42(1967)年5月29日 電波新聞より(一部抜粋)
「こうして生まれた ヒット作」〜新諸国物語〜
こども番組の“原型”に
 いまテレビ各局とも、午後六時台から七時台にかけて、目白押しにこども向け番組を並べている。これは、こどもが重要なマーケットであることの証拠だといえよう。
 そのこどもが重要なマーケットであることを認識させたのが日本のこども番組の“原型”といわれるNHKラジオの「新諸国物語」なのである。この「新諸国物語」は、昭和27年4月、午後六時二十五分から同四十分までの時間帯に、月曜から金曜までの帯番組としてスタートし「白鳥の騎士」「笛吹童子」「紅孔雀」「オテナの塔」「七つの誓い」の五部作にわたって、三十一年十二月まで延々四年八ヶ月もつづいたのである。
 この時間帯は「君の名は」とともに、菊田一夫氏のラジオドラマのヒット作に数えられている「鐘の鳴る丘」「さくらんぼ大将」とつづいた路線だけに、当時NHKの演劇課長だった中川忠彦氏(現・演出室チーフプロデューサー)は「スタート前は夜も眠れないほど気をもんだ」そうである。それも無理からぬ話。NHKのこども番組では初の時代劇あるうえ、作者の北村寿夫氏は舞台では「幻の部屋」などの戯曲を書き「向こう三軒両隣り」などの脚本を担当したが、菊田氏にくらべれば、キャリアの点では、未知数な面が多かったからである。

超現実な物語の魅力
ところが、放送がスタートすると、その奇想天外で、超現実的な物語の展開によって、こどもたちの心をガッチリとつかみ、予期以上の反響がハネ返ってきた。とくに福田蘭童氏の「ヒャラーリ、ヒャラリーコー」という独特な日本風の短音階による音楽は好評で、たちまちのうちに、人気番組のしあがってしまったのである。


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