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FileNo.040523

相続のため戸籍謄本を取得した。戦前なら戸主である長男が家督を相続し“家”の財産すべてを受け継いだのだが、今は誰がどれだけ相続の権利があるのかを確定するのに戸籍謄本が使われる。謄本を取得するのにY県へ郵便で費用を添えて申請した。移動の多い大変な時期だが、すぐ送ってくれた。取り寄せた謄本には、その戸主に関する子や孫が9頁にわたって載っていた。相続の為には、被相続人から相続人に至るまでのすべてを確認する必要があるから、「現在の戸籍」や「改製原戸籍」全部で四つの謄本を用意した。面倒なようだが考えようによっては、戸籍謄本だけで相続人が確定できるから便利でもある。

そもそも「戸籍制度」は、明治になって政府が、すべての国民を把握して中央集権をすすめるために整備されたようだ。当時は“戸”というものが社会を構成する柱になっていた。明治新政府としては、徴税などの基礎となる“戸”の把握は必要不可欠だった訳だ。昭和22年の民法改正によって「家制度」が廃止され、戸籍のあり方も大きく変わった。今では私みたいに転勤であっちこっち移動する人が多い社会であるから、本籍地に住んでいない人は相当いるはずだ。みんな移動するたびに「住民票」を動かして「市民権」を得ている。昔ながらの“戸”という考えは変わり、“戸”から“個”へというところだろうか。

取り寄せた母方の謄本を見ると、おじいさんは、文久2年生れとなっている。まさに幕末、坂本竜馬が活躍し、江戸時代から明治へ日本が大きく揺れた時代に生まれている。母が生まれたのが明治37年、日露戦争勃発のころである。こうして戸籍を見ていると、当時を生きた人をリアルに感じることが出来る。教科書に出てくるような事柄も、知識としての歴史ではなく実感として感じとれる。母も7人兄妹であったが、父方のおじいさんも7男として生まれている。当時としては極あたりまえの事だった。裕福ではなかった時代、親は働くことに必死だったに違いない。

こうして一時代一時代、自分たちが任された時代を一生懸命生きてきたのである。いつの時代でも、特別な人が生きていた訳ではない。毎年の鎮守の森の祭りを楽しみにし、おいしいものを食べて喜び、その時代のあり方に左右されながらも、我々と何ら変わりはない人たちが生きていた。親から子へ、子から孫へ、戸籍謄本をみるとその様子が実によく分かる。確実に“時”は過ぎ、受け継がれている。それぞれの“戸”が「山の彼方の空遠く」にある“幸”を求めて生きてきた結果が現在をつくっている。それに比べ、我々の時代になって、何と“負”の遺産を多く作ってしまったことか。などと書くと人ごとみたいになるが、その責任は、車で走り回っている私のような“個”にこそあるのである。

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