東映城の3大お姫様 | 随筆のページへ トップページへ File No.050717 |
福岡市綜合図書館の「映像ホール・シネラ」で「特別企画・東映映画史」が7月6日からあっている。東映映画の歴史を辿るなら、当然チャンバラ映画が主体になるが、今日はこの企画の一貫として「桜町弘子シネマトーク」が催された。ご存知、大川恵子・丘さとみと共に「東映城の3大お姫様」のひとりである。地方にいると女優さんを直に見る機会も少ないので、日見子と二人で出かけた。一時間前に到着したが、すでに入口は長蛇の列であった。さすがに、来ている人はそれ相応の年齢の人たちばかりである。ホールに入ると座席はすぐ満席になった。スペースの許す限り折りたたみ椅子も出されたが、立ち見の人、通路の階段に腰掛ける人など大変な盛況ぶりだった。そして、いよいよ和服姿のお姫様登場である。桜の色をイメージしたのだろうか、うすいピンクの着物と帯だった。だが、どうも姫君はトークが苦手らしい。第一声が「心臓が最後まで持つかしら」であった。
銀幕の大スターと共演した女優さんのトークである。女優桜町弘子誕生秘話をはじめ、市川右太衛門、片岡知恵蔵、大川橋蔵など当時のスターのエピソードが実に面白かった。彼女によれば、片岡知恵蔵の立ち回りは「手」が少なかったそうだ。もともと立ち回りがきらいだったようだが、本人いわく「人を切るのは、実際にはそんなに切れるものではない」という考えがあってのことだそうだ。知恵蔵といえば、私が小学生のころに見た「血槍富士」が記憶に残る。そんな重厚な大スターも、酒は全く飲めなかったという。彼女とスタッフ全員が結託して、酒を飲ませた話などなかなか面白い。知恵蔵とは反対に、よくあれだけの立ち回りをやれると驚いたのが市川右太衛門。大川橋蔵は、彼女がうまく出来なくても傷つけないように実にやさしく教えてくれたそうだ。更に、1カットしか映らない「ふすま」などに見る美術さんの超一流の仕事も見て欲しいなど、他では聞けない話がいっぱいだった。
シネマトークの後に「旗本退屈男」が上映された。1958年の作品で市川右太衛門・映画出演300本記念として製作された作品だそうだ。オープニングは「岩に荒波がザブーンと砕け散る」おなじみのシーンだ。出演者を見ると、記念作品らしく当時のスター総出演で豪華絢爛である。ストーリーは、正義と悪者が実にはっきりしていて、最後には必ず正義が勝つという、オーソドックスな展開である。圧倒的に強いヒーローが、悪者をこてんぱんにやっつけるだけではない、そこには武士道や、庶民の殿様への信頼などもからんでくる。当時の時代劇の魅力は正にそこにあると言えるだろう。そういう心地よさは、当時人気の高かった鞍馬天狗や怪傑黒頭巾などにも見て取れる。さしずめ私が今「勧善懲悪」映画を創るとすれば、小泉
解決苦労頭巾 (小泉 怪傑黒頭巾)が、年貢の横流しで甘い汁を吸う族(賊)をバッタバッタと切りまくるというストーリーで溜飲を下げるところだ。
私が小さかった頃、田舎だったが町に映画館が一軒あった。私の家が商売をやっていた関係で、店先に映画のポスターを貼っていた。このポスターを貼っている特典みたいなもので「ビラ下」(記憶が定かではないが、こう言っていたと思う)というのがあった。映画の割引券である。確か30円くらいで見ることができた。当時映画は「娯楽の王様」だった。テレビは街頭テレビ時代で家庭にはまだ普及していなかった。面白い映画を映画館で大いに楽しんだ。銀幕のスターも、本当の意味で雲の上のスターだった。映画館は、盆・正月など立錐の余地がないほどひしめき合い、独特の雰囲気とにおいがあった。子供も東映映画なら、新諸国物語「紅孔雀」「笛吹童子」などで夢中になった。那智の子天狗、風小僧、ウキネマル、アカガキゲンバ、今でもスラスラと出てくる。今日のシネマトークも、そんな時代を懐かしむ人たちが押し寄せたのだろう。
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