定年だ〜ッ! 随筆のページへ

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FileNo.050930

本日、待ちに待った定年をついに迎えた。実に感慨深い。40数年といえば随分永いようだが、終わってみれば“あっ”という間だった。「男は60才で成年に達する」とアイルランドの小説家ジェイムズ・スティーヴンスは言った。つまり私は、今やっと「成人」したのである。内閣府の世論調査でも「高齢者って何歳から?」と聞いたら、50才以上の7割の人が「70歳以上」と答えている。春日市に住む60才以上の500人に実施した意識調査では「都会や都心に近い郊外に住み、ボランティアや生涯学習など社会にかかわっていたい」(西日本新聞より)という結果が出たという。世間一般60才という年齢に、年を取ったという感覚はないようだ。私のシステム手帳には、すでに来年2月くらいまでの予定が色々と書き込まれている。福岡市の中心街に、わずか30分で行けるところに居を構えた。フットワークは軽い。

だが「毎日が日曜日」となると、糸の切れた凧みたいになってしまいそうだ。「非日常」が「日常」になったとき、今までの「非日常」の魅力は消え去る。哲学者サルトルは「人間は自由という刑を受けている」と言った。更に人間はまず「実存」ありきで、「本質」は自ら作り上げていくものだと言う。つまり生きる為のすべてが自由・自己責任ということだ。サラリーマンの40年は、考えようによっては、会社の歯車のひとつであるから、その役割を果たすことで、「自由の刑」を免れてきたといえる。というか、何となくそれで自分自身を“ごまかしながら生きてきた”ともいえるだろう。定年後、まさに「本質の最終章」を作り上げるために「自由の刑」に立ち向かわなければならない。歯車のひとつとして安穏に過ごすことに慣れてしまったサラリーマンは、定年退職を迎え夢のような世界を喜んでばかりはいられない。

徒然草の吉田兼好はこう言う「飽かず惜しと思わば、千年を過ごすとも、一夜の夢の心こそせめ。住み果てぬ世に、みにくき姿を待ちえて何かはせん」。私は、連綿と生きながらえるつもりなど毛頭ない。今までの40年が“あっ”という間なら、定年後の時間など、“あっ”という間もないと言える。哲学者ハイデッカーは「死は唯一、確実な未来の可能性」と言った。「死」は確実にやってくるが、誰もそれがどういうものなのかは知らない。だからこそ「精一杯生きてよし、いつ終わってもよし」である。つまり、精一杯生きるための最終章なのである。誰もが最後の瞬間まで心身ともに正常でありたいと願っている。そのためには、まず本質をつくる為のベースが重要である。パソコンに例えるなら、CPU(持って生まれたもの)と、その上の基本ソフト(気力・体力)がしっかりしていることでアプリケーションが正常に機能する(本質をつくりあげる)。

人間が本来持つ体内時計は1日25時間だそうだ。つい「宵っ張りの朝寝坊」が日常茶飯事なんてことになりかねない。先日、姉から電話があって、こんなことを忠告してくれた。「定年でゴロゴロするな。生活にリズムをつくれ。そして、主婦には定年がないということもしっかり頭に入れておきなさい」と。今までは、良くも悪くも会社が生活のリズムを維持してくれた。だからこそ「アイドルタイム」が活力を与えてくれたが、今からは逆に規則正しい生活、メリハリのある生活こそが活力を与える。せっかく日見子が、しっかり食事に気を配ってくれていても、不健康な毎日を送っていては何にもならない。更に「主婦には定年がない」ということにも充分気を配らなければならない。昔から夫婦のことを、「空気のような存在」などと言うが、お互いがその存在をしっかり認識してこそ夫婦なのではないか。そういうこともすべてを含めて、「規律ある自由」を大いに楽しみ、精一杯生きたいと思う。

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今日、サラリーマン最後の日を終わって家に帰ると「一輪のバラ」と「長い間お疲れさま・・・・・」というメッセージが机の上にあった。「花とメッセージ」に込められた日見子の思いが伝わってくる。


はじめての給与 はじめての賞与
(昭和39年4月)給与支給金 15,784円
これから税金や寮費、天引き預金などが差し引かれ、9,744円が支給されています。
(昭和39年12月)賞与支給金 22,500円
これから税金や天引き預金などを差し引いて、15,000円が支給されています。