坂本冬美 「気まぐれ道中」 「播磨の渡り鳥」を追加 |
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いや、いや、いや、股旅ものとは驚いた。 坂本冬美の新譜は「気まぐれ道中」。約一年の休養から復帰第一作は、重苦しさを吹き飛ばして、明るく元気のいい作品で活動再開である。二葉百合子さんに師事し浪曲をベースに制作された曲だそうだ。そういう経緯からすれば“股旅もの”というのも当然の成り行きかもしれない。「♪ いつか上がるさ、この雨も、今日がダメでも、明日がある ♪」と前向きに歌う姿勢は、復帰にふさわしい内容と言えよう。坂本冬美のヒット曲「夜桜お七」には、あたかも歌舞伎で大見得を切るような心地よさがあるが、「気まぐれ道中」にも、そんな颯爽としたものがながれている。
“股旅もの”といえば、我々世代は「橋幸夫」である。ロカビリー全盛の時代だったが、当時の若者に受け入れられた。最近では、氷川きよしの「箱根八里の半次郎」がヒットしている。戦前からそういった歌はあったが、本当の意味で、このジャンルを定着させたのは「橋幸夫」であろう。"股旅もの"の基本は、「生きることの厳しさ・寂しさ」を根底に、一本筋の通った生き方が、見ている我々に颯爽とうつるのである。「気まぐれ道中」は一見“あっけらかん”とした曲調だが、「♪ 泣きたかったら、泣いたらいいさ、そんな日もある人生は ♪」という歌詞の通り「生きることの厳しさ・寂しさ」から立ち上がろうとする、彼女の気持ちの裏返しと見た。
彼女が休養に入った後、生き方の選択肢は、いくつかあったはずだ。しかし、「やはり私にはこの道しかない」と、復帰の道を選んだ。つまり彼女は「生きることの意義」を「歌」に見出した訳である。「生きる意味」は、遺伝子をもつ生命は、微生物であろうが、全てが持っている。しかし「生きることの意義」となると、どうであろうか。「特に思うところも無く、ただ生きている」という人もいるだろう。それはそれで、意義なのかもしれないが、生きることの意義に、気づいていないのが大部分だろう。方向を定め目標に向かって進もうとしている彼女は、ある意味幸せを掴んだと言える。
彼女は、19歳でデビュー、十数年走り続けた結果、無理に無理が重なり、ついには自分の気持ちをコントロールで出来なくなった。「休まなければ続けられなくなった」という裏には、どれほど自分との戦いがあったのか、他人には計り知れないが、苦しんで苦しんで出した結論であることは容易に推測がつく。去年、自宅のテレビで一視聴者として見ていた「レコード大賞」や「紅白歌合戦」である。「♪ なんだどうした、じたばたするな ♪」心の中に思うところもあったであろう。今年の年末には、きっと華やかなステージのうえで、颯爽と元気のいい坂本冬美が見れるであろうことを期待したい。[2003・09・04]
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