大相撲九州場所が昨日千秋楽を迎え、今年の本場所はこれですべて終わった。今場所は九州場所が本場所になって、50回という記念の場所だった。私は11日目に福岡国際センターに足を運んだが、50回記念のストラップのプレゼントがあった。パネルの展示も実に懐かしかった。本場所になった昭和32年頃といえば、当時相撲ファンだった父が、はじめて街頭テレビで観戦したときのことを思い出す。帰ってきて第一声が「思ったより、動いてなかったよ」だった。私が、興味を持って大相撲を見始めたのもそのころだ。詳しいストーリーは忘れたが、子供向けの映画に出演した千代の山を今もかすかに記憶している。昭和32年の年頭の西日本新聞に掲載された記事をスクラップしていたので、改めて読み直してみたが実に懐かしい。就職して福岡に出てきたころは大鵬・柏戸が活躍していた。起重機と言われた明武谷、褐色の弾丸房錦、個性豊かな力士も多かった。
今場所は結局、朝青龍の全勝優勝で終わった。しかし、敢闘賞と技能賞を受賞した豊真将の活躍は光った。福岡県出身・琴奨菊は六日目まで1勝5敗だったが、その後9連勝で二桁にのせ敢闘賞受賞は立派だ。これで来場所は三役が期待できそうだ。そして、福岡県出身といえば、なんと言っても魁皇だ。10回目のかど番で、進退をかけて臨む場所となった。ところが魁皇は稽古充分、気力充分、無傷の8連勝でかど番を脱出した。そんな魁皇に福岡のファンは惜しみない声援を送る。11日目の千代大海との取り組みでも、手拍子とともに、魁皇コールの大合唱で館内は大いに盛り上がった。魁皇も勝利で応えてくれた。力の入ったいい相撲だった。場所前に稽古を観に行った阿武松部屋の片山も11日目は、圧倒的に強い相撲をみせた。高々と足を上げる片山の四股は、時間いっぱいで気合を入れる高見盛とともに、大きく館内を沸かせた。プロには、こういうパフォーマンスも必要だ。
場所前に福岡女子大学であった「異境から来た21世紀の力びと」という公開講座を聴きにいった。早稲田大学・宮崎里司教授と荒汐親方、三段目・蒼國来(そうこくらい)の鼎談だったが、これがなかなか興味深い話を聞くことができた。野球選手は日本語を話せずに帰っていくが、力士はみんな上手に話すのはなぜか。相撲の世界では、縦社会の常識を、稽古場で徹底的に教える。教授は「言葉もぶつかり稽古だ」といい、更に「日本語力と番付は比例する」という。言葉が分らなければ強くならないのである。言葉の壁を克服しながら、一方では辛い稽古の日々が待っている。しかし、荒汐親方は、外人力士は昭和20年〜30年代の考え方で育って、日本にきているという。日本人力士は、ちょっと辛いとすぐに故郷に帰ってしまうそうだ。無理もない、徒競走で「みんな一緒に手をつないでゴールしましょう」というような環境で育ったのでは違って当たり前かもしれない。
だからというわけでもなかろうが、一部屋一人の外人枠にもかかわらず、幕内には13人(但し、一人は引退)もの外人力士がいる。つまり3割が外人力士ということになる。11日目の取り組みでも、黒海×安馬、露鵬×把瑠都、と二番続けて外人力士同志の取り組みがあった。今や、外人力士なしでは成り立たないと言っても過言ではない。外国人力士を排斥しろというつもりはないが、何とかしないといけない事態ではある。阿武松部屋のホームページを見ると、“キッズ阿武松”として相撲の普及に尽力されている様子が伺える。いっそのこと小・中・高一貫の相撲学校を設立して、日本中から入学させてはどうか。科学的な裏づけをもって体を作り上げ、国技(神事)を行うものとして歴史や神話も含め徹底して教育するといい。今育っている環境から一気に、理不尽なまでの縦社会に放り込まれるよりましだろう。卒業時にドラフトで各部屋へ入る。そこから、花形力士が出れば盛り上がること間違いなし。ちょっと飛躍し過ぎか・・・。