日本人と「もち」 随筆のページへ

トップページへ

file-No. 020401

私は、休日の朝食を、時々“もち”にすることがある。なぜ休日の朝かと言うと、時間的余裕と精神的余裕があるからである。まず、朝起きて、おもむろに台所のレンジの前に、椅子を持ち込みどっかり座る。レンジの上には、当然“もち”を焼くアミを用意する。このアミも直火が当たらないものでなければならない。火加減は、遠火かつ弱火にする。準備が出来たら“もち”を4つほどならべる。同じアミの上でも位置によって若干火力が違う。そうなると、同時に乗せた“もち”でも一つは、コゲて、一つはまだ固いなんてことになる。ここは慎重に、同じように焼きあがるようローテーションが必要である。あわてず、騒がず、ゆっくりと時が過ぎる。“もち”の表も裏も満遍なく均一に火が通るように神経を注ぐ。さて、そのうち“もち”の一部がプ〜と膨れて、プシュっとはじける。なんだか嬉しくなる瞬間である。前もって用意した、醤油につけ、もう一度軽く火にあぶる。このときの香ばしい匂いがまたいい。焼きあがったら、パリパリの「のり」にくるんで、もうその場で食べる。これがたまらなくうまい。私のたのしみな、休日の朝の儀式である。

少なくとも我々の世代より上にとっては“もち”の存在は特別の観がある。我々が小さかった頃は、年末の「もちつき」は一年のなかでも大きなイベントであった。正月を迎える儀式みたいなもので、まさに日本の風習である。「もちつき」は、全員が、それぞれの役割があって、小さい子供は子供なりに、小さい手でもちをまるめたりする。新しい家を建てるとき、「棟上」が済むと「もちまき」があり、正月を迎えるにあたっては、家の大事な場所には、「鏡餅」を供える。祭りがあったり、お目出度いことがあると紅白の“もち”は定番であった。生命に力を与える食べ物である“もち”は、「神霊が宿る」と信じられ、供物を意味する「おそなえ」と呼ばれる。日本人にとっていかに大切な存在であるかがわかる。“もち”は通常の食材とは全く違う“はるかに高い次元”のものなのである。

農耕民族である我々は、数千年にわたって「米」からエネルギーをもらってきた。その起源は縄文時代、6000年まえに遡る。当時稲は、「ひえ」や「あわ」と一緒に焼畑で植えられていた。「日本人と米」の歴史の始まりである。唐津「菜畑遺跡」からは、2600年前の日本最古の水田跡が発見された。この水田が、またたく間に稲作を北上させ、日本各地に伝えた。穀物の中でも味がよく栄養価の高い米は、日本列島の新たな主食となったのである。四季のある風土は、農耕が発展するのに非常に適していたと言えよう。更に、世界的に見ても温和な日本人の民族性もこの稲作の歴史に育まれたと言っても過言ではない。我々は数千年を経て刻み込まれた「DNA」を紛れもなく受け継いでいるのだ。

“もち”という別格のものが、いつの頃からかごく一般的な食材と同じになってしまった。我々世代には、特別の思いがあるのに何故だろうか。私の結論としては、工場の大量生産で「スーパーマーケット」の棚にカップラーメンと同じレベルで、並ぶようになったのが原因だろうと思っている。つまり、“もち”が正月とか祝い事というものから切り離されてしまったのである。ただ、そのおかげで、食べたいときに“もち”がすぐ食べられる恩恵を100%享受している自分なのだが・・・。生まれたときから、スーパーで買える“もち”がごく当たり前の若い人たちに、特別感をもてと言うのも無理な話である。そんなことを言ったら、米は「まき」で炊くのがいいし、焼くのは炭火に限る。昔は「みそ」も「醤油」も自給自足だった。レンジで“もち”を焼いている私に、とやかく言えるものでもない。ただ、永々と受け継がれ、守られてきた「DNA」が失われることがなんだかさびしいのである。



随筆のページへ

トップページへ