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内行花文鏡[ 国宝 ]指定
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FileNo.060614

平成18年6月9日付の官報(号外 第132号)で魏志倭人伝・伊都国の王墓「平原方形周溝墓」の出土品一式が国宝に指定された。指定された出土品は「銅鏡40面」「玉類一括」「鉄素環頭太刀一口」などである。皇位のしるしとして歴代の天皇が受け継ぐ三種の神器「鏡」「勾玉」「剣」が揃っている。もちろんその鏡の中には、世界最大直径46.5cmの「内行花文鏡」が含まれている。この鏡は、その大きさなどから「八咫(やた)の鏡」と同じと思われている。魏志倭人伝の「世有王皆統属女王國郡使往来常所駐」「自女王國以北特置一大率検察諸国・・・常治伊都國・・・」(現代語訳を下記)からも邪馬台国の時代「伊都國」が重要なクニであったことがわかる。弥生時代の王の権威を示す鏡が、国内最多の40面も出土したことがそれを裏付けている。今回の国宝指定も、そのあたりを含め「葬送の実態と弥生時代から古墳時代への変化を考える上で極めて重要な資料」として重要文化財から国宝へ格上げになったものだ。

平原遺跡(国史跡)は先頃公園整備が終わり「王墓の墳丘」も復元された。この王墓から出土したのは前記の通り「剣」は一本だけに対し、イヤリング、ネックレス、ブレスレットなど装身具が多い。平原遺跡が「女王の墓」とされている所以である。弥生終末期、邪馬台国の女王・卑弥呼、その後の台与(とよ)とともに、この伊都國もまた女王が君臨していた訳である。古墳時代へと受け継がれる伊都國、邪馬台国の時代が、「女王の時代」であったということは非常に重要である。伊勢神宮の祭神は「天照大神(あまてらすおおみかみ)」と「豊受大神(とようけのおおかみ)」である。天照大神の「天の岩戸」の神話は、卑弥呼の皆既日食をイメージさせ、豊受大神は台与(とよ)をイメージさせる。「八咫(やた)の鏡」などを考え合わせれば「伊都國」−「邪馬台国」−「天皇家」という流れはほぼ間違いない(と思っている)。つまりこれは、天皇家は「女王」から始まったと言える(と思っている)。

「皇室典範に関する有識者会議」は昨年11月、女性・女系天皇を認め、継承順位を「長子優先」という結論を出した。皇室には秋篠宮さま以来40年男子が生まれていないという状況から達した結論である。そんな中、今年2月秋篠宮妃紀子さまのご懐妊が明らかになり、皇室典範改正案の国会提出も見送られた。しかしながら、仮に今度誕生されるのが男子であったとしても、現状が大きく好転するわけではない。過去、常に男系で継承されてきた長い歴史はあるが、安定した皇位継承のためには「皇室典範」の改正は必要と考える。男系男子の継承を明文化した「旧皇室典範」が制定された時代背景は、長男が家督相続をし、「夫唱婦随」妻は夫の所有物だった時代である。時は移り昭和天皇の時代には、人間天皇となられ、側室を廃止され、美智子さまや雅子さまなど民間出身の妃殿下も誕生した。時代と共に皇室も“開かれた皇室”として大きく変わってきている。

21世紀は女性の世紀であり、男女共同参画社会の時代である。元はと言えば天照大神という女神から始まった天皇家である。その天照大神が卑弥呼であれば、卑弥呼の実家は伊都國であり、その伊都國も又女王だったことからして、元々女系ではなかったのか。であるならば女性・女系天皇は何ら問題ないのではないか。過去推古天皇をはじめ8人の女帝が存在された事実もある。思うに今後のあり方として、女性・女系天皇を認め、長子優先として継承の安定を図り、ご誕生の瞬間から誰もが将来の天皇として見守ることが大切である。愛子さまご誕生の折り、多くの国民がその誕生を喜んだ。しかし、その反面「内親王」ということが心のどこかによぎった人も多かったことだろう。ご誕生に際しては一点の曇りもなくお祝い申し上げたいものだ。今回、女王の墓の出土品一式が国宝になったということは、「皇祖」や「八咫の鏡」と無縁ではないと秘かに思っている。

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追伸:福岡市埋蔵文化センターの平成18年度考古学講座は「邪馬台国への道」として6回シリーズで開かれている。今日(H18・06・24)は第三回「伊都國」だった。このシリーズは大変な人気で、今日は300人を超える人が来ていた。講師は前原市教育委員会の角浩行氏。解りやすく、いい講義だった。今日の資料の中に「魏志倭人伝」の伊都國関連抜粋が載っていたので現代語訳を下記する。
「世有王皆統属女王國郡使往来常所駐」
々王いるが、みな女王国に統属する。郡使が往来し、常駐の場所である。
「自女王國以北特置一大率検察諸国・・・常治伊都國・・・」
女王国から北には、とくに一大率をおき、諸国を検察させる。・・・常に伊都國で治める。・・・
石原道博訳「新訂 魏志倭人伝・後漢書倭伝 宋書倭国伝・随書倭国伝
--中国正史日本伝(1)−」(1951 岩波書店)より
追伸平成18年6月1日発行 広報 まえばる より
平原遺跡出土品が国宝に内定
伊都国女王の墓と推定る平原遺跡の出土品が、国宝に指定される予定です。平原遺跡は、昭和40年に偶然発見され、発掘調査が行われました。一号墓からは、銅鏡をはじめガラスやめのうの玉・鉄製の太刀など豪華な副葬品が発見されました。この墓は、約1800年前に造られたものです。今回国宝に指定されるのは、これら一号墓の出土品です。当時、糸島地方には伊都国が存在していたと考えられ、一号墓は副葬品の内容から伊都国の王の墓であると考えられます。出土品の中では、40面が出土した銅鏡が最も注目されます。その中には直径46.5cmの日本最大の銅鏡「内行花文鏡」5面が含まれています。また、一つの墓から出土した数としては日本最多です。銅鏡は単なる鏡ではなく権力の大きさを表すものと考えられており、伊都国王は国内でも有数の強大な権力を持っていたと考えられます。ガラスの連玉は、非常に珍しく、国内ではこの他に井原ヤリミゾ遺跡で出土しているだけです。メノウの管玉も珍しく、平原遺跡から出土したものは、朝鮮半島で作られた可能性もあります。鉄製の大刀は、素環頭大刀(そかんとうたち)と呼ばれ、柄の先に円環が付くのが特徴で、中国で作られたものです。これらの出土品は、国の文化審議会においてその文化的・歴史的価値が認められ、国宝に指定されることとなりました。



追伸平成18年6月24日 西日本新聞より
国宝 「内行花文鏡」
福岡県前原市は「魏志倭人伝」に記された伊都国の所在地で、平原遺跡はその王の墓だ。墓から出土した多くの副葬品のうち、ひときわ注目を集めるのが世界最大の五面の銅鏡。直径は46.5センチ。裏面に描かれた花弁状の模様から「内行花文鏡(ないこうかもんきょう)」と呼ばれる。重さは約8キロ。通常の銅鏡は五百グラムほどだから、その16面分に相当する大きさだ。まさに王の権威を象徴する鏡である。この鏡が古代史ファンをひきつける理由は、その大きさだけではない。鏡が古事記、日本書紀が伝える「八咫鏡(やたのかがみ)」との説があるからだ。八咫鏡とは伊勢神宮に伝わる神宝で、神宮内に平原遺跡と同じ超大型の鏡がまつられているという説を、在野の考古学者だった故原田大六氏が提唱した。銅鏡を含む遺物は6月に「国宝」となり、博物館で公開している。(伊都国歴史博物館・岡部裕俊)
伊都国歴史博物館 前原市井原916 TEL092(322)7083
内行花文鏡のレプリカ(縮尺1/5)
H18/09/30「前原市民まつり」で買ったもの。一緒に入っていた説明文は下記の通り。
平原王墓出土の内行花文鏡(国宝)
国指定史跡、曽根遺跡群の「平原王墓」から40面分の銅鏡や素環頭大刀・勾玉などの装身具が出土。これらは全て国宝に指定されています。
このなかには直径46.5cmもある超大型鏡が5面も含まれていました。この鏡は八咫の鏡ともいわれる世界最大径の銅鏡です。縁の厚みは6.8〜8.5mm。鏡の背面の中央にある紐(ちゅう)の周りに特異な八葉文、連弧文、九重の重圏文が巡っています。伊都国全盛期の弥生時代後期の国産鏡と言われていて、このような大型鏡を製作する技術水準の高さが偲ばれます。
前原市
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