映画「母べえ」を観て | 私のパソコンのデスクトップ |
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昭和15年の東京、母べえ、父べえ、初べえ、照べえと呼び合う仲の良い家族がいた。父べえ(坂東三津五郎)はドイツ文学者だが、ある夜突然土足で踏み込んできた特高に検挙され投獄される。執筆したものが、検閲にひっかかったのだ。日中戦争から大東亜戦争へと突き進む時代、父べえが居てさえ、家賃3ヶ月分を溜めるほど苦しい生活。そんな中で、二人の子供を育て、獄中の夫を支え、希望を失わず必死に生きる母べえ・野上佳代(吉永小百合)の姿が描かれる。これは、照べえ・野上照代さんが書いた「父へのレクイエム」を基にした実話である。暗くなりがちな時代だが、映画では山ちゃん(浅野忠信)や仙吉(笑福亭鶴瓶)などが笑いや、心の安らぎを与えてくれる。もちろん感動のシーンがいくつも用意されている。シーンを重ねるごとに、私の心の中の振り子が少しづつ大きく揺れていく。母べえの熱い思いが伝わってくる。父べえが玄関を入るとき「あなた、家に帰ってきたのよ」という一言で、ついに我慢していた涙が止めどなく流れた。心配しなくてもいい。周りのみんなも泣いている。
部屋の“たたずまい”などが、小さかった頃の記憶をよみがえらせる。学校のシーンもなつかしい。“そうそう、こんなだったなあー”と郷愁を誘う。ちゃぶ台で食事をし、火鉢で湯を沸かし、もちを焼き、あの水屋は、わが家にあったのとそっくりだ。小さい頃、冷蔵庫などなかったので、私は冬の寒い夜、茶碗に水を入れて外に出し、氷をつくって食べたことがあったなー。「欲しがりません、勝つまでは」「贅沢は敵だ」。物のなかった時代の苦労など戦時中のことは、父や母からよく聞かされたものだ。実際の生活の中で“もったいない”という言葉をよく聞いた。その後、テレビや洗濯機などで生活は便利になり、高度経済成長期の豊かな時代を生きてきた私は、すっかりそのころのつましい生活を忘れてしまっている。それは私だけではない。食料自給率が40%を切りながらも、なお大量の売れ残った食料が廃棄されている。しかし、もう金を出しさえすれば、何でも買えるという時代ではなくなりつつある。この映画では、小さい頃の匂いを感じさせ、失った何かを思い出させてくれる。
20数年前のことだが、タモリさんの番組で「今夜は最高」というのがあった。小百合さんがゲストのとき、野坂昭如さんとの掛け合いで、タモリ「この方はね、この美しさは国が守らないかん。ヤンバルクイナと同じように・・・日本の宝だと思うわけです」野坂「世界の宝だ」タモリ「いや、宇宙の宝だ」と言っていたのを思い出す。福岡で昨年末、小百合さんのディナーショーがあった。行けなかったが、私などが行って小百合さんの目を汚してはいけません。いいんです、スクリーンがあります。と思っていたらこれも昨年末、福岡のデパート岩田屋で「詩写・吉永小百合」という石川三明氏の写真展があった。プロの写真家が撮るとこうも美しいか、と感動しながら観て周った。観ているうちに、心の中が“ぐじゅぐじゅ”になり、崩れ落ちていくようだった。「男はつらいよ・寅次郎恋やつれ」では、浴衣姿で花火を見ている小百合さんの後ろ姿をみて、寅さんが「きれいだね」と小さくつぶやくシーンがある。あれはきっと監督の本音だったに違いない。
山田洋次監督が小百合さんと組んだ映画を見れば、もしかすると究極のサユリストは山田洋次監督かもしれないと思う。監督はこの映画を構想したとき、自筆の手紙で小百合さんに出演の依頼をしたそうだ。もし小百合さんがOKしなければ制作を断念したという。先の見えない苦しい時代を生き抜く母。信念を曲げないことによる更なる追い討ちにも負けない。自分を見失わず、ひたむきに希望をもって生きる母べえ。その“しなやかな強さ”を、人間・吉永小百合に重ねたのであろう。どういう映画なら小百合さんの持つ品性を適切に表現できるか。この映画の根本はそこにあるように思う。岩田屋の写真展で、写真家・石川三明氏のことばがこう書いてあった。「人の美しさとは、形だけではない。内容をともなって、初めて人はそれを本当の美と感じる・・・」。泡沫のごとく生まれては消えていった青春スターは数知れず。その中にあってサユリストという言葉が、輝き続ける大きな要因は何か。それは彼女に備わった「女優の品格」である。
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石川三明写真展「詩写・吉永小百合」のパンフレットと、そのとき買った写真集の一部 |