ニューオーリンズジャズ
(JAZZ AT ACROS)
〜ニューオーリンズとともに〜
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FileNo.051225

来月(20061月)24日、アクロス福岡で「JAZZ AT ACROS」〜ニューオーリンズとともに〜というコンサートがある。これは「ニューオーリンズ被災者支援コンサート」で売上金の一部が寄付されるそうだ。出演するミュージシャンの顔ぶれがすごい。日野皓正、辛島文雄、山下洋輔、伊藤君子・・・・などなどジャズ界のトップが顔を揃える。このメンバーの演奏が5000円で聴ける。即チケットを買うべく飛んでいったが、既に1Fの前の方は売り切れ、後方だが中心に近い席をやっと買うことが出来た。逐一情報はチェックしていたつもりだったが、残念ながら遅れをとった。前出のミュージシャンは、いずれもスイングジャーナルの人気投票でランキングされている。特に日野皓正については、トランペット部門で、ぶっちぎりの人気で2位以下を圧倒している。日野皓正、辛島文雄は何度かコンサートに行ったこともある。

私はジャズを聴き始めて40数年になる。高校時代、学校の体育館に地方ラジオ局専属のコンボバンドが来た。目の前でプロの生の演奏を聞いて、ジャズの魅力を体感したのがきっかけだった。当時「テイク・ファイブ」「ブルース・マーチ」「イパネマの娘」などジャズでもヒット曲としてよく流れていた。とりあえずジャズは何でも聴いたが、最終的にはハードバップが主になった。アート・ブレーキー、クリフォード・ブラウン、リー・モーガンなどである。その後、70年代になって、フュージョンの台頭とともにジャズから遠ざかってしまった。80年代に入って、ジャズメッセンジャースにウィントン・マルサリスが入った頃から、また聴きだした。この頃から東京に行ったときは、必ず新宿に泊まって「新宿ピットイン」に行くようになった。村上秀一、森山威男などはここで聴いた。80年代中ごろから時たま買ったジャズのCDも、今数えてみると20枚を超えている。

テナーサックスの大御所、松本英彦さんが、病気で亡くなられる少し前のことである。すでに松本英彦さんの容態は相当悪く、車椅子に身を委ね意思表示さえ出来ない状態に陥っていた。その経緯がドキュメンタリーでテレビ放送された。そのなかで病院に日野皓正さんが見舞いに来たときのことである。日野さんは、話しかけながら思い出の曲を演奏した。すると表情も変わらず、物言わぬ“スリーピー”松本英彦さんの目から涙がこぼれ落ちた。その演奏をしっかり聴き、受け止め、涙したのである。強く思い出に残るシーンであると同時に、音楽の持つ力を感じたシーンだった。ジャズはもともと、ニューオーリンズの虐げられた黒人たちの心の叫びである。そのニューオーリンズの多くの人々が今、家を失い、仕事を失い、政府の対応も混乱する中、ぎりぎりの生活を余儀なくされている。その人たちの為に、日本のジャズメンたちがジャズの力をもって立ち上がった。どんな演奏を聴かせてくれるか楽しみだ。
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コンサートの報告

「GREAT TIME」
辛島文雄(Pf)
1月24日コンサートに行ってきた。ヒノテル、辛島文雄、山下洋輔、伊藤君子などが熱い演奏をみせてくれた。福岡で活躍するミュージシャンも彼らに勝るとも劣らない激しい演奏を繰り広げた。やはりライブはいい。叩きつけるようなピアノの音、トランペットの金属音、激しいドラムスの振動が直に伝わってくる。ヒノテルのステージのドラムスのバトルはすごかった。細胞が沸騰状態で、4時間のステージがあっと言う間だった。最後はニューオーリンズらしく、出演者全員による「聖者の行進」の大合唱で締めくくった。この興奮の余韻を愉しもうと、辛島文雄さんが今回のステージでも演奏した曲の入っているCD「GREAT TIME」をロビーで買った。こんな楽しいコンサートならまた企画してほしいものだ。宮崎たかしさんと中西久美さんの司会も、出演者から楽しい会話を引き出して、ステージの合間を愉しませてくれた。ところで、宮崎さんはいつからあんなモヒカン刈りみたいな髪型になったんでしょうか。

[ A NIGHT AT BIRDLAND ]
Vol.1、2
CLIFFORD BROWN (trumpet)
LOU DONALDSON  (alto sax)
HORACE SILVER    (piano)
CURLY RUSSELL    (bass)
ART BLAKEY         (drums)

Recorded at the Birdland
on February 21,1954
持っているCDの中でも、特に気に入っているアルバム。(tp)クリフォード・ブラウン、(ds)アート・ブレーキー。2枚組。クリフォード・ブラウンはこの2年後交通事故死する。今持っているCDは、やはりアート・ブレーキーがらみが多い。
昭和38年4月発売のソノシート。「南里文雄君の思い出」として谷口又士さんのエッセイが載っている。「彼は大正14年、高島屋音楽隊の二期生として入隊し、コルネット・プレーヤー見習いとしてそのスタートをきった。・・・・昭和9年頃、赤坂のフロリダ・ダンスホールに筆者も一緒に出ていたころの事である。彼はいつも時間ぎりぎりに出勤してくるのが常だった。・・・・過日、サッチモが来日した時も、毎日面会し親交を厚くして、旧友のようにしてわざわざ筆者にまで紹介してくれたほどだった」などなど、貴重なエピソードが興味深い。お二人とも日本ジャズ界の草創期をつくった人である。南里文雄さんはスイングジャーナル誌の「南里文雄賞」として今に名を残されている。
昭和62年8月2日、別府・城島高原で開催されたジャズフェスティバルのパンフレット。ジャズメッセンジャーズを卒業したテレンス・ブランチャードとドナルド・ハリソンが出演した。(いずれもニューオーリンズ出身だったと思う) 私が見る限り、会場の反応は彼らの演奏を、ちゃんと聴いているのか疑問だった。丁度、彼らの演奏の途中で雨が降り出し、会場がざわついた事もあって、非情に残念だった。だが他の人は別にして、私はこの二人の「貴重な生演奏」を堪能した。
この時の出演は次の通り : 松岡直也グループ 、 辛島文雄トリオ・峰厚介・金子晴美 、 プリズム 、 カシオペア 、 スクエア 、 テレンス・ブランチャード/ドナルド・ハリソンクインテット 、 サリナ・ジョーンズ 、 マリーン


全日本フィギアが終わりトリノの代表選手が決まった。注目していたのは安藤美姫選手。グランプリ・ファイナルでは、何度も転倒し4回転には挑めなかった。この不調は精神的にも相当ひきずっていたようだが「これ以上、自分に負けたくない」という強い気持ちで全日本にのぞんだようだ。ショートプログラム演技直前の様子からも、そのビリビリと張り詰めた緊張感が伝わってきた。演技をしているときは、テレビの前で見ている方も緊張し、終わるまで まるでフリーズ状態だった。大きなミスもなく無事演技が終わった時、安藤美姫選手が見せたあの小さなガッツポーズがすべてを物語る。よほどホッとしたのだろう、いつもの笑顔が戻ってきた。「クリスマスで、応援している人に笑顔を贈ることができてよかった」とコメントしていた。翌25日最終日の演技が終わった後の代表選手発表では、見事3人目に呼ばれ氷上に立った。本人は「トリノには行けないかもしれない」という不安があったようだから、選ばれて嬉しかったことだろう。それまでのポイントの貯金は実力を示すものだ。トリノでは是非実力通りの演技でメダルを勝ち取ってほしい。
追伸「五輪の舞台楽しめた」・・・・安藤、満足の笑顔  2006/02/25西日本新聞
 安藤美姫が18才で迎えた初めての五輪を終えた。「すごく思い出に残る五輪。楽しめた。この舞台に立っていることがすばらしい」と、競技を終えると、満足したように笑みを振りまいた。だが、女子選手で五輪初の4回転ジャンプに成功することはできなかった。トリノ入りしてからの練習でも、4回転ジャンプに成功したのは数えるほど。フリー前日の練習では7回挑んで着氷できたのは1度と確率は低かった。挑戦する勇気は持っていたものの、完成度は高くなかった。「4回転に久しぶりに挑戦しただけで満足。他のジャンプも飛びたかったけど、それが五輪の怖さ」と安藤。4回転意外のジャンプでも大半失敗した。自覚はないようだが、それは五輪の重圧という理由だけではない。今回、荒川から「1回目は楽しかった。2回目は違う」と五輪について話を聞いたという。安藤は「次も味わってみたくなった」と無邪気に笑った。荒川も村主も2度目の五輪の舞台に立つために数々の困難を乗り越えた。安藤も願いをかなえるためには、4年の努力が必要だ。(共同)
大晦日、紅白の時間帯に格闘技があっていた。普通、格闘技系は見ないのだが、吉田がどんな戦いぶりか、ちょっと気になったのでチャンネルを合わせてみた。勝負は、吉田の勝利に終わったが、負けた小川がマイクを握って「ハッスル」のパフォーマンスを吉田に強要した。会場は大いに沸き、吉田にやれと言わんばかりの雰囲気になった。大袈裟に言えば、この対応は今後の吉田の価値にもつながる。どう対応するか見守った。さすが、吉田は周りの雰囲気に呑まれず「引退したらやります」(たしか、こう言ったと思う)ときっぱり断った。負けた相手のパフォーマンスなんかに付き合ったのでは男が下がる。あの雰囲気の中で、吉田は自分を見失わなかった。その数日前のニュースで、ヤンキースの松井選手が、WBC不参加を表明した。恐らく日本中、松井の参加を望んでいたのではないだろうか。つまり、会場からパフォーマンスを要求されている吉田の状態に似ている?? しかし松井は、不参加を表明した。置かれた立場・状況、選手としてのあり方などなど、その後の報道を見るに、不参加の判断は正しかったと思える。「天才は99%の努力と1%のインスピレーションからなる」。数十億円を稼ぐプロフェッショナルとしては当然だろう。松井の不参加より、WBCの開催のあり方を考えたほうがいいのではないか。松井、吉田、ともに自分を見失わなかったと言うことだろう。
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