文章教室・課題「

卑弥呼の鏡


方格規矩鏡(後漢鏡)
これぞ卑弥呼の鏡だ!!
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 先日、奈良勝山古墳から出土した木材の年代が判明し、あたかも邪馬台国論争に決着が着いたかのような記事が新聞のトップをかざった。この話題がトップ記事になるほど、古代国家成立に興味を持つ人は多い。「平塚川添」「吉野ヶ里」など大環濠集落の発掘が拍車をかけ、今や「古代史ブーム」と言ってよいほど国民の認識は高い。

 邪馬台国所在地論争は、大きく分けて「九州説」と「畿内説」の二つに分かれる。「畿内説」の重要な論拠の一つに「三角縁神獣鏡」がある。「魏志倭人伝」にある卑弥呼が「魏」からもらった「鏡100枚」がそれにあたるとしている。この神獣鏡は、畿内の古墳から多く出土し、出土のたびに「またも卑弥呼の鏡出現」と大騒ぎしている。

 しかし、私に言わせれば「ナンセンス」である。「三角縁・・」は、卑弥呼の時代より100年も後の四世紀の古墳からしか出土しない。その出土数は、100面どころかすでに約500面ほど出ている。ところが、中国からもらったににしては、その中国からはただの一面も出土していない。更に、その原料もデザインも「魏」ではなく「呉の江南地方」のものとなればもはや論争する対象ではない。

 「畿内説」は、古事記など日本の資料を、全く考慮しない。その視野の狭さは重箱の隅をつついているような印象すらある。まさに「木を見て森を見ず」である。より正しい結論を導くには、中国の資料、考古学の資料、記紀、風土記などの国内の資料等を多角的にとらえ、比較分析し大所高所から判断を下すことが大切である。考古学と言えども「バランス感覚」は必要であろう。

file-No. 010615



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