アテネの日本と国旗・国歌 随筆のページへ

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FileNo.040828

今日(8月28日)までの日本の成績は、「金」15個、「銀」10個、「銅」10個と史上最多のメダルを獲得した。事前に目指していたメダル数が25個であったから大変な活躍だ。ドーピング問題で「金」がもう一つ増えるのではないかというニュースも流れている。そうなれば「金」が東京オリンピックに並ぶことになる。その微妙な問題はさておいても、オリンピック発祥の地アテネに、「日の丸」は35回掲げられ、「君が代」が15回流れたことになる。選手のユニフォームには「日の丸」がつけられ、会場では、日の丸の小旗が振られている。柔道100キロ超級で優勝した鈴木選手を応援する大きな日の丸には、88年優勝の斉藤(現監督)と斉藤以来の優勝、鈴木の名前があったと聞く。少なくとも、国民のほとんどが疑問の余地なく「国旗」を喜びを持って受け入れ、「国歌」を厳粛な気持ちで聞き入ったはずだ。オリンピックは、選手のみならず、応援している我々の中にも別格の感がある。

印象にのこる試合もたくさんある。「大変なことをしでかした」水泳女子自由形800Mの柴田選手の活躍、柔道阿武選手のオリンピック初勝利。「銅から20年かけて銀。あと20年かけて金を・・・」と言ったアーチェリーの山本選手。あげればきりがない。戦ったすべての選手にドラマがある。その中でも卓球史上最年少で代表になった福原愛選手の挑戦も印象に残る戦いの一つだった。ベスト16で世界ランク6位に挑んだ試合は見事であった。特にジュースになった4ゲーム目では、再三アドバンテージを取って手に汗握らせてくれた。思わず立ち上がって応援したほどだ。愛ちゃんの攻撃にたまらずミスしたときに見せた対戦相手のあの苦笑いは痛快だった。試合が終わった時、格上で勝者である相手が、床に座り込んでしまった。そこだけ見たらどっちが勝ったのか分からないようなシーンだった。小さいときから卓球少女の成長を見てきた日本の多くの人は、まるで愛ちゃんの父や母であるかのような気持ちで応援していたのではないだろうか。

長嶋JAPANは、「銅」メダルで有終の美を飾った。長嶋監督のもと全員が一丸となって目指した結果である。戦いの間ダッグアウトには、長嶋監督によって書き込まれた「3」が入った「日の丸」が掲げられていた。その国旗にある「FOR THE FLAG」の精神は、オリンピックだけではない。世界選手権をはじめ国際試合では、全ての選手がこのために、鍛錬し勝ち抜いて挑んでいる。今月初め、中国でサッカー・アジアカップが開催された。それがどんな状態であったかは、ご存知の通りである。「反日」一色であった。「日本の国旗」は焼かれる、「日本の国歌」が流れるとブーイングの嵐であった。中国は自国の「愛国教育」の具として「反日」を使ったことが、今回の騒動を招いた。他のアジアの国でも同様の傾向が見られ、避けて通れない歴史であることも事実ではある。しかし、国旗・国歌はその国の国民や伝統や文化といったものの象徴である。どこの国の国旗・国歌であろうが、敬意を払われることは常識である。すなわち、これは国際的な礼儀であるはずだ。

今回、日本という国名で、一つ気になったことがある。それは「なでしこJAPAN」という呼び方である。実にうまいネーミングだと最初感心した。「JAPAN」は、その語感のよさから特に疑問もなく受け入れていた。しかし、「なでしこ」ときたら「日本」が適当ではないかと思った。第一どうして国の呼び方がいくつも存在するのだろうか。JAPANという呼び方になった詳しい経緯など知る由もないが、JAPON(ジャポン)に至っては、何だか“JAPAN”と“NIPPON”からつくった造語みたではないか。「日出づる処・・・日本」である。日本銀行券には「NIPPON GINKO」と印刷してある。このことからすれば、NIPPONが正しい呼び方なのではないか。どうして「なでしこNIPPON」「長嶋NIPPON」「山本NIPPON」ではないのか。ふと疑問に感じた次第である。激闘のアテネオリンピックも終わろうとしている。我々に史上最大の感動を与えてくれた日本選手団に拍手。

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[2004年8月29日22時53分](infoseekニュースより)
【アテネ29日共同】 国際オリンピック委員会(IOC)は29日、当地で理事会を開き、アテネ五輪陸上男子ハンマー投げ優勝のアドリアン・アヌシュ(ハンガリー)をドーピング(薬物使用)違反で失格とし、金メダルをはく奪した。
2位の室伏広治が繰り上がり、金メダル獲得が決まった。これで今大会の日本の金メダルは16個となり、最多だった1964年東京大会と並んだ。

[2004年8月30日10時18分](infoseekニュースより)
【アテネ=読売取材団】日本選手の躍進が目立った大会だった。伝統の柔道や競泳、体操のほか、新種目の女子レスリングでもメダルを量産。
日本のメダル数は金16、銀9、銅12の計37個で、史上最多となった。また、金メダル16個は1964年東京大会に並ぶ史上最多タイ。