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私は、常々飛行機について「なぜあんな巨大な物体が浮くのだろうか」と不思議に思っている。ジャンボジェット機(国内線仕様)は、全長70m、最大離陸重量は300トン近い。実感のない気が遠くなるような大きさである。福岡空港は、市街地にあり空港の周辺には離着陸を間近に見れるスポットがある。特に着陸時がよい。ジャンボ機などがゆっくり降りて来て頭上に覆いかぶさると、この巨大な金属の固まりが宙に浮いていることが不思議である。また飛行機に乗って羽根を見ていると、この巨大な機体をわずかあれくらいのひ弱そうな翼で支えている事も信じられない。記憶に残る飛行機といえば「ボーイング727」である。私達が新婚旅行の帰り「大阪〜福岡」で搭乗したのがその頃非常に人気の高かった727であった。このページ掲載の画像はその時機長のサイン入りでもらった新婚旅行用の記念カードである。橋幸夫・吉永小百合がデュエットした「そこは青い空だった」は、727をテーマにした歌だった。記憶ははっきりしないが恐らくANAかどこか航空会社のPRの曲ではなかったかと思う。人気の秘密は、やはりあのT字型の尾翼であろう。飛行機関係者にも人気が高かったようであるから機能的にもかなり優れていたのではなかろうか。飛行機という乗り物はだいたい時速800kmから900kmで直線で飛ぶ。乗り物のなかでその効率は他を圧倒している。
特攻機 |
毎年8月終戦記念日近くになると戦争に関する番組を多く見る。8月14日には学徒出陣のTV番組が放映されていた。その中で特にショックを受けたのが、「特攻機」の部分である。特攻隊員として命をうけ、与えられた特攻機は「九四式水上偵察機」というかなり古い飛行機で、「金属の骨組みだけものに、布を張りつけたもの」だったと言う。使い物にならない飛行機だから特攻機にでも使おうかという印象だったそうである。「決意が揺らぐような飛行機であった」とその人は回想していた。時は敗色濃い戦争末期、B29による本土空爆がなされようとしていた頃、「特攻隊」「回天特攻隊」は編成された。文字どおり決死の出撃であり、出発するときは、爆弾以外なにも積んでいない。出撃直前に家族に宛てた手紙に「私の命も、あと6時間となりました……」との書き出しをみて、これほど非人道的な作戦はないと思った。はっきり言ってこれは“作戦”と言えるようなものではない。それでも、親兄弟や愛する人の為に捨て石になるという崇高な決意で出撃していったのである。戦争末期、制空権は完全にアメリカに握られ、B29が編隊を組んで日本の空をわがもの顔で飛回っていた。この圧倒的軍事力の差を認識しながらも、軍部は「大和魂」という精神論で立ち向かおうとした。結果は火を見るより明らかである。ついに広島と長崎に原爆が落とされ、宣戦布告したソ連が満州に進入するに至った。8月9日の御前会議で天皇は「ポツダム宣言受諾」の判断を示されたが、なお軍部の強行な「本土決戦」論の前に結論が出なかったという。特攻機で散った若者が願い信じた思いは、届いていなかった。決断を鈍らせたのは一握りの軍部上層部のただ単なる「威信」や「権力」への執着ではなかったろうか。
日本航空123便墜落事故 |
8月12日の新聞一面に「御巣鷹 鎮魂・日航機墜落から15年」の記事が出ていた。御巣鷹の尾根のふもとの川で、遺族らによる灯ろう流しが行われ、犠牲者の一人坂本九さんの歌「見上げてごらん夜の星を」を合唱したという。娘さんを失ったある主婦は「娘は、十五年たっても私の中では十九歳のままです」と悲しみを新たにしていた。そんな中、TVでは15年を経過して事故機の「ブラックボックス」を廃棄処分したと報道していた。番組ではその事故時の機長と副操縦士の会話が流された。油圧系統が損傷し機能を失った事を知り絶句する機長。垂直尾翼を失い方向蛇を失った123便はコントロールを失い32分間迷走する。絶対絶命の中、コックピットでは機体を水平に立て直す為に考えられる限りの試みがなされる。最後まで強気にクルーを叱咤激励し勇敢に戦い続ける機長もついに「これはだめかもわからんね」とつぶやく。聞きながら胸が詰まる思いであった。この事故の「事故調査報告書」では、後部圧力隔壁が金属疲労により損壊が原因となっているが、事故状況の特異性から報告書にたいする疑問を唱える人も少なくない。これだけのマスコミや航空関係者の疑問を残しながら、また遺族の悲しみも消えない状況において「ブラックボックス」を廃棄することはいかがなものか。納得出来ないのは私だけではあるまい。最近ではほんの20日ほど前、フランスの超音速旅客機コンコルドが墜落した。コンコルドはこれまで大きな事故はなく「安全神話」さえあった機である。この事故もいろいろな原因が報道されているが、いづれにしても事故調査委員会は、再発防止の為徹底した原因解明を行い対策するのが使命である。尊い多くの命が犠牲になった事故である。あだやおろそかには出来ないことを肝に銘じ、航空機の更なる発展のためにも貴重な資料として後世に残すべきと考える。
鳥人間コンテスト |
今年も8月12日恒例の番組である「鳥人間コンテスト」が放映された。この番組も回を重ね24回目である。私は毎年欠かさず見ている。その魅力は、飛行機というものを介して繰り広げられる筋書きのない人間ドラマにある。一年間心血を注いで作り上げた自作機に寄せるクルーの思いは、画面を通しても充分伝わってくる。チームの夢を乗せて飛び立った結果、飛んでは泣き、飛ばずに泣く…真実の涙が感動をよぶ。自然の天候や風にフライト中止というアクシデントに見舞われることも少なくない。しかし、この涙が次のフライトへのバネになる。一方飛行機について言うと、長距離を安定して不安なく飛ぶように作られた機体は機能美にあふれている。これが精一杯羽根を広げ、風を捉え必死に飛ぶ様は実に美しい。このコンテストには滑空機部門と人力プロペラ機部門があるが、規定は自作の飛行機というだけで大きさとか重量に制限はない。いずれも飛ぶ飛ばないは機体半分、パイロット半分といわれている。機体は、力学を満足させるフォルムに「軽さ」の追求と「強度」の追求のせめぎあいになる。パイロットは、離陸時の機体の引き起こしや、その後の操縦と体力が問われる。特に離陸時の機首の引き起こしは、「0.5秒」遅くても墜落する。 永い歴史のなか有名な参加者もいる。誰もが知る佐々木正司さん。この人は優勝を4回しており、うち18回〜20回大会で3連続優勝を飾っている。みんなが「打倒佐々木」を目指す。しかし今回は残念なことに、強風のためプラットホーム上で機の一部が破損した。結果離陸はしたものの航続不能となった。強風で必死に羽根を抑え機を守ろうとするクルーの姿に、目まぐるしく変わる自然との戦いがあった。今月末には、この番組の本が出るそうであるが映像においてこそ価値のある番組である。
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