映画「13階段」を観て
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file-No. 030209

昨日封切られた映画「13階段」を見た。原作は高野和明、第47回江戸川乱歩賞受賞作品の映画化である。主演は、山崎努、反町隆史。死刑をテーマにストーリーはゆっくりと展開する。アメリカ映画のファーストフードに対して、スローフードとでも言おうか、テーマの重さをリアルに表現する。更に山崎努の渋い演技が光る。映画からのメッセージは「命の尊厳」と「償い」である。映画のなかで「なくなっていい命なんかない」というセリフがテーマを表現する。この「13階段」は、国会議員試写会が行われ、超党派の議員で作る「死刑廃止を推進する議員連盟」の議員15人が見た。会長を務める亀井氏は「国民の方が真剣に死刑を考える契機になればいいと思う」と語った。

世界は、死刑制度廃止の方向へ動いており、国連からも、日本政府に死刑廃止に努力するよう要請があっている。現在議論は、廃止派と存続派が平行線という感じであろうか。廃止派の論拠は、「生命の自由は、何にも増して尊重されるべきもの。それは他人の生命の自由を奪った人だからといって国によって基本的人権を奪われてはならない。死刑は人権侵害である」概ねこんなところである。存続派の意見は「公平や、正義を考えた場合、自らの命をもって償うべき」「個人の尊重は、自他同時でなければならない。他人の生命を尊重できないものにたいしては、自分の命をもって責任を負う」「殺された人は、人権が完全に侵されているのに、殺した側は人権が認められるのは不公平」などである。こうしてみると存続派が「被害者とのバランス」で考えているのに対し、廃止派は「加害者の人権を守ることが大事、被害者の人権は別問題」と切り離して考えている。

青森県弘前市で起きた「武富士の強盗・放火・殺人事件」がもうすぐ結審する。被告は「武富士に恨みはなく、火をつけるつもりもなかった。殺意はなかった。寛大な処置を・・・」と抗弁したという。しかし、検察側は「未必の故意」を考慮したとしてもこの強盗殺人は死刑に値するとし、死刑を求刑した。この事件では、競輪などにつぎ込んだ借金のために、5人の尊い命が奪われた。その被害者や、被害者の家族の心情を思うに、その無念さは計り知れない。こんな短絡的に重大事件を起こさずとも、「個人再生手続」や「自己破産」など解決方法はあるのにと思うと、なお更悔やまれる。

死刑というのは、これが執行されると、修復不可能である。これを前提に考えないといけないのが、人を裁くのもまた人であるということだ。つまり、「完全」ということはありえない。この「13階段」にみるように、「冤罪」は、過去いくつかあった。一番記憶にあるのは「免田事件」であろう。死刑確定後、約30年後に再審で無罪を勝ち取った。冤罪の一要因として、取調べのあり方という問題もある。徹底した長時間の取調べで、精神的にも肉体的にも追い込まれ、この苦痛から開放される方法はただ一つ「自白」しかないと言う異常な状況のもとで作成された書類が公の文書となる。この書類からの判断なら、当然公正さを欠く場合だってありうる。「13階段」での冤罪は、検事の勇み足で仕立て上げられた感じだ。犯人には犯行時の記憶がなく、否定も出来ない。当然自白もなく、ましてや改悛のしようもない。こんな状態での死刑宣告である。ただ現実には、こんな状態で死刑にはならないと思うが・・・。

私自身「心情や感情」でものを考えている訳で、そういう意味では「存続派」である。廃止派の「基本的人権」を論拠に論戦を挑まれたら、木っ端微塵になりそうだが、現実は、国民の大多数が死刑制度存続を希望している。そもそも法律に基づく刑罰自体、犯した罪の重さによる量刑ではないのか。自分自身のなかで、「人権」「冤罪」「正義」様々な考えが飛び交う。観念的に思考すれば、「代替刑の整備をもって廃止もやむを得ないか」という気持ちになる。しかし具体的に、多数の命を一瞬にして奪ったサラ金強盗殺人・放火という事件を目の前に突きつけられると、「極刑をもって償うのもやむを得ないのではないか」と心が揺れる。
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STORY
監督:長澤雅彦
出演:反町隆史、山崎勉
喧嘩相手を誤って殺し、3年の刑に服していた三上純一(反町隆史)は、4ヶ月の刑期を残して仮釈放された。服役していた時の刑務官・南郷正二(山崎努)は、ある死刑確定囚の冤罪を晴らす調査に三上を誘う。その死刑囚・樹原は、仮出所中に自分の保護司夫妻を金目当てで殺害した容疑をかけられた。ところが、樹原は事件直後の交通事故で犯行時の記憶を無くしていた。犯行を否認することも出来ないまま、死刑は確定した。残された時間は3ヶ月。南郷と三上の調査が始まる。そして驚きの真実にたどり着く。
武富士放火殺人事件、小林被告に死刑判決
小林被告、目に涙 : 「厳粛な判断」と武富士社長(時事通信社)平成15年2月12日
「一応反省もしている。前科もない。それでもなお、あまりにも重大。生命をもって、償わせるのが妥当」。極刑を告げる山内昭善裁判長の声が12日午後、青森地裁1号法廷に響いた。その瞬間、小林光弘被告は右手に持ったハンカチでそっと目頭を押さえた。
 この日、青森は吹雪の悪天候。にもかかわらず、36人分用意された一般傍聴席は満席となった。グレーのセーター、黒っぽいチェック柄のズボン、頭を短く刈り込んだ小林被告。被告の背に厳しい視線を投げ掛けた被害者の関係者とみられる人が、涙を浮かべながら判決理由をじっと聞き入った。
 主文の言い渡しを後にして、判決理由の朗読に入った山内裁判長は途中、小林被告をいすに座らせた。右ポケットに用意したハンカチを取り出し、小林被告は何回か目尻をぬぐった。
 傍聴席には武富士の清川昭社長の姿もあった。閉廷後、同社長は「亡くなった5人が帰って来るわけでもなく、負傷者の心の傷が癒えるわけではない。だが、適正で厳粛な法の判断が下った」と語った。
[未必の故意]Infoseek現代用語の基礎知識2001より
自分の行為からある結果が「発生するかもしれない」と知りながら、「発生しても仕方がない」と認めていた心理状態をいう。例えば警察官の群へ屋上から岩石を落とすような場合、こうした行為が人を死傷する原因になることを知り、死傷してもやむをえないと考えた場合などをさす。やはり故意の一種であり、故意犯が成立する。一九八九(平成一)年に東京で起きた女子高生コンクリート詰め殺人事件で、東京地裁は、九〇年七月一九日、未必の殺意という概念を用いた。

平成19(2007)年3月28日 西日本新聞
武富士放火・死刑確定へ・・・上告棄却
 青森県弘前市の消費者金融「武富士」弘前支店(閉店)で2001年、店員5人が死亡した放火殺人事件で、強盗殺人などの罪に問われた元タクシー運転手小林光弘被告(48)の上告審判決で、最高裁第三小法廷は27日、死刑を言い渡した1,2審判決を支持、被告の上告を棄却した。死刑が確定する。拘置中の死刑囚は百二人となる。
 上田豊三裁判長は「凶悪、残虐な犯行で、借金返済に困窮した動機や要求に応じない支店長らに憤激した経緯に酌量の余地はない。遺族らの被害感情は厳しく、前科がないことなどを考慮しても死刑はやむお得ない」と判決理由を述べた。