「思い出の曲」と「意識形成」

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車の中で、カーラジオに耳を傾けていた。番組は、「南こうせつ」と女性アナウンサーのトーク番組だった。トークの流れのなかで南こうせつが「一番思い出に残る一曲は…?」と女性アナに向けた質問に、女性アナは、「22歳の別れ」となんの躊躇もなく答えた。しかし、その後で女性アナは、「こうせつ」を前にして「神田川」を挙げなかった事をフォローしていた。思い出の一曲の理由として、自分の高校時代の「思い出」の曲である事を力説していた。青春真っ只中、友達と盛り上がっていた頃であり、「恋」もあったようだ。

永い人生のなかで、思い出のシーンとともに心のなかに生きる歌は多い。しかし、考えてみると20歳以降の曲にはどこかに論理(左脳)が存在していないだろうか。無条件にタイムスリップし右脳のみで心を開いてくれるのは、やはり高校時代に染み込んだものである。つまり左脳では、なつかしい思い出を記憶し、右脳では青春時代そのものを記憶しているのではなかろうか。

小さい頃は、周りから作られた環境をそのまま受入れ、潜在意識を形成する。自我を形成し始めた高校時代は、それまで貯えられた潜在意識や、学習して得たもの、環境に育てられたものを基に、自分の世界を作り上げていく。多感で、感受性の一番強い時であり、肉体的にも最高の時である。「乾いた砂」に「水」が染み込むようにという表現が適切である。この時期における意識の形成は、顕在意識と潜在意識の両方の脳に深い「しわ」を刻み込む。

心に沁みこんだ音楽は、その人にとって一生の貴重な財産である。その意味において、そのヒット曲をもつ歌手は歌手冥利につきると言える。思い出の一曲は、一瞬にして「タイムスリップ」し「その時代」を蘇らせ、折に触れ「生きる力」を与えてくれる。それがまた「音楽」のすばらしいところである。


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