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対中国・我々の強い覚悟が求められている 猫を想う

[2021/03/28]
対中国・我々の強い覚悟が求められている

先日、日米外務防衛担当閣僚会議(2+2)が日本で開かれた。バイデン政権の閣僚初の外国訪問である。更に、4月に予定されている日米首脳会談は、ホワイトハウスに招かれる最初の賓客として菅首相が訪米の予定である。日米同盟が重視されていることの表れだ。軍事力を背景に、力による現状変更を試みる中国の傍若無人ぶりは目に余る。バイデン政権は、アジア重視の方針を打ち出し「開かれたインド太平洋構想」の実現に向け、クワッドやASEAN諸国との連携強化を図る。その基軸となるのが日米同盟である。日米首脳会談の共同文書には、海警法の施行で危機感を深める尖閣諸島や台湾海峡についても盛り込まれる。中国は尖閣諸島を台湾の一部とみなしている。台湾有事は即ち日本の有事である。

中国がこれだけ傍若無人の振る舞いをする背景には、東アジアにおいてアメリカの軍事力と肩を並べるまでになった自信がある。2027年には人民解放軍創建100年を迎える。その時の成果として台湾の統一がある。今後更に「強軍路線」を加速させアメリカを抜こうとしている。すでに迎撃困難な極超音速滑空兵器を搭載したアメリカ本土射程の弾道ミサイルの配備も始めているという。アメリカのインド太平洋司令官は「中国は今後10年間に核兵器を少なくとも2倍に増やすだろう」と言っている。すでに東アジアでは米中の軍事力が逆転したとの見方さえある。日本が中国に侵略されれば、即ウィグル自治区やチベットに見る人権無視の残虐な行為が日本でも繰り広げられることになる。


左翼・西日本新聞の社説は「日米の対中政策」についてこう書いている。『中国のけん制に偏重して不要に緊張を高めてはならない。中国との共存を図り地域の安定資する民主主義の結束を図るべきだ。・・・日本は双方(米・中)の出方を見極め、緊張を緩和する戦略も独自に描きたい』。典型的な左翼思想である。一方、読売新聞の社説はこう書いている。『中国の軍拡により米軍の抑止力が崩壊しつつある。インド太平洋で軍事バランスが崩れれば、日本への影響は深刻だ。日本周辺で起こりうる様々な事態を想定して国家安全保障会議で日本としてなすべき対策をしっかり議論しておくべきだ』。左翼・西日本新聞は、中国を刺激せず、米中の顔色をうかがいながら、うまく立ち回れと言っている。これに対し、読売新聞は、切迫感を持ってなすべき対策をしっかり議論しておけと言っている。

今の中国は共産党の一党支配ではない。共産党の上に習近平が君臨している。習近平の専制君主国家である。先ごろ開かれた中国全人代でも、習近平思想を指導思想とするとして、全人代の制度もこれに従うということになっている。中国における習近平カリスマ化の野望に向かって、周辺少数民族の同化、香港の支配の次に最終目標の台湾統一へと突き進む。軍事力と経済力を背景に、今や中国のやることはすべて正しく、米国やNATO諸国がどんなに非難しようと、中国の内政問題だと一向に気にしていない。そんな中国に対して、最前線に位置する我々日本国民はどうあるべきか。中国の侵略による第2のウィグルやチベットのような悲惨な迫害を受けないためにも、国家主権を守る強い覚悟が求められている。

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[2021/03/10]
猫を想う
過日、解剖学者・養老猛司先生が飼われている猫を取材した「まる 冬を送る」(BSP)が放送された。まるは18才で逝った。人間なら90才近くである。先生いわく「不思議だなと思う。なんでまるが家に来たのか・・・・縁があったからそうなったんだ」。我が家の猫君も1才くらいの時、どこからともなく現れ、そのまま居ついた。出会いというのは、前もって決められているものである。偶然を装いながらも、出会うべくして出会い、運命を共にする。その猫君も昨年19才で逝った。以前、レンタルDVDで、現世に写真を飾ってなければ、盆に帰って来ることができないという映画を観たことがある。それでという訳でもないが、いつ帰ってきていいように、猫君の遺影とともに、生前使っていたものはすべて保管している。

養老先生は「病気を治療するというのは、人間のわがままかもしれない」と言っていた。我が家の猫君は「長生きだったね」とよく言われる。果たして長生きは、猫君にとってどれほどの意味を持っていたのだろうか。単に人間の価値観を押し付けていたに過ぎないのではなかったろうか。私は猫君の食事に随分気を使っていた。体には良いがあまり好きではなかった食事と、比較的好きだった食事を組み合わせて食べさせていた。好きではない方が先に出てきて、それを食べ終わらないと好きなのが出て来ない。猫君はそれを十分承知していた。そんな申し訳なさもあって、死を間際にして、猫君が飛びつきそうなおいしいのを買ってきて食べさせた。しかし一口食べただけで、もはや食べる力が無くなっていた。

TV番組で「岩合光昭の世界ネコ歩き」(BSP)をよく見ている。岩合さんの愛情あふれる猫への語りかけがいい。また猫たちに対する世界の人たちの優しさが伝わってくる。心安らぐ番組である。この番組を見ながら常々不思議に思っていたことがある。それはどこの国の猫も同じ種に見えることである。過日放送のあった「不思議いっぱい〜ネコの秘密」(Eテレ)でその疑問が解けた。野生のネコが、家ネコになったのが確認されたのは地中海のキプロス島の約1万年前の遺跡だった。人間が穀物を作り保存するようになった頃である。穀物を食い荒らすネズミを退治するためネコが飼われ始めた。その後、エジプトやローマの貿易船が積み荷の穀物を守るため、ネコを船に乗せたことで、一気に世界に広がった。バイキングが「幸運の印」としたように、猫が愛されるキャラだったことも大きい。

養老先生は『いつもあるものがない。喪失感という言葉では感じが出ない。表す言葉が無い。ただ「いない」というだけ』とおっしゃっていた。『ただ「いない」』という言葉は重い。“ただいない”それは「無」の状態である。「無」とは何もないということではない。そこには「エネルギー」が存在している。今我々がいる宇宙は、時間も空間もない「無」から生まれた。そこにはエネルギーが揺らいでいた。その“ゆらぎ”の中から生まれた宇宙の卵が、一気に膨張し今の宇宙がある。“ただいない”そこにあるエネルギーが、我々の心を揺らす。そして、その刺激で私の脳は、記憶の中から鮮やかに猫君の像を蘇らせる。「猫君!凛とした立ち姿、格好良かったよ」
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