量子力学と生命 随筆のページへ

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File No.160718

表紙
量子力学には不確かさが存在し、実に不可解である。そこには我々が日常目にするニュートン力学ではありえない世界が広がっている。そもそも「量子」とは、「粒子性」と「波動性」を同時にもった物質を表す物理的な量の最小単位である。そんな量子の世界から、生命現象を解明しようとするのが「量子生物学」である。その量子の世界の一端を、本書ではこう書いている。『量子のもつれが生物学にどのように関係してくるかを理解するには、次の二つの概念を組み合わせなければならない。一つめは、空間を隔てて二個の粒子が瞬時につながる、量子のもつれ。二つめは、一個の粒子が同時に二つ以上の状態の重ね合わせ状態を取れること。たとえば一個の電子が同時に両方向のスピンを持ち、「上向きスピン」状態と「下向きスピン」状態の重ね合わせ状態を取ることができる』。何とも摩訶不思議な世界である。我々生命はこんな不確実性の上に成り立っている。だが、本書には『量子力学で説明できなければ、この世界のしくみに関する現代の知識の大部分は崩れ去ってしまう』と書かれている。現実世界の深い部分で、量子の世界が土台となって支えてくれている。
ヨーロッパのコマドリは地磁気を感知し、3000キロの渡りをする。この地磁気の方向と強さを感知できる能力は「磁気受容」と呼ばれる。コマドリの磁気感覚は、磁力線と地面がつくる角度(伏角=ふっかく)を測るコンパス(伏角コンパス)で、極の方角と赤道の方角を区別している。その生物的な伏角コンパスの仕組みはどのようなものなのか。ここで量子生物学が登場する。磁気的性質をもつ遊離基(フリーラジカル)という分子がある。この遊離基とは一番外側の電子殻にひとりぼっちの電子をもっている分子である。電子が一つということはすなわち打ち消す相手がいない。ところが「高速三重項反応」と呼ばれるプロセスで生成する遊離基の「ペア」が対応して互いに「量子もつれ」状態にある電子をもつ可能性が指摘された。コマドリは夜、渡りをする。このとき磁気コンパスを作動させる訳だが、それには少量の光が必要なのだという。研究の結果、動物の目の中にクリプトクロムという光受容体が発見された。これが遊離基のペアを生成する能力をもつタンパク質だったのだ。つまりコマドリは「量子のもつれ」を使って飛ぶ方向を決めていたのである。
著者は人間の「意識」における量子力学の関与も考察している。『観念とは、複雑な情報の塊であって、我々の意識はそれを一つにまとめることで自分にとって意味のある観念をつくる。我々の心は意識を持っているおかげで、単なる刺激ではなく、観念や概念に促されて働くことができる』。脳の中で量子力学的な現象が起きているかもしれない場所が、神経細胞の膜の中にあるイオンチャンネルである。イオンは量子波として、チャンネルを制御している。『量子力学は、脳の中の量子の世界と古典的な世界を繋ぐものとして理にかなっている。脳の1個々々の物質粒子から脳全体の電磁場へと視点を変えることで、結び付け問題を解決し、意識の存在する場所を明らかにできるかもしれない』と著者は言う。『電場や磁場は、神経細胞のイオンチャンネルの中を通るイオンのような電荷をもった粒子、または磁気を帯びた粒子を動かす。電磁場は神経発火を統制し、多数の神経細胞を同期させて、いっせいに発火させる』。人間の意識を説明するのに、実際に量子力学が必要であるという証拠は何もないとしながらも、『生物の最も謎めいた産物である意識に全く関係していないということがはたして考えられるか』と言う。
著者は、生命が量子の世界と古典的な世界との縁を航海していると表現する。それは地表にニュートン力学による日常的なマクロの世界があり、中間には液体や気体の熱力学、そして最も深い部分に量子の世界がある。『細胞は細長いキールを量子の層まで突き刺した船のようなもので、そのためにトンネル効果や量子のもつれなどの現象を利用することで生き続けることができる』とする。何億年にもわたって、量子力学の中で生き抜いてきた生命たちである。一個一個の生命分子の中で、トンネル効果や量子のもつれといった量子現象を利用しないわけがない。量子のもつれを利用するコマドリの旅は、長い旅を終えて帰るまで、途中で関わってきたすべてが量子力学に支えられていたと言っても過言ではなかろう。つまり著者の言う、生命は量子の世界と古典的な世界との橋渡しである。しかし、生命には当然“死”が約束されている。著者いわく『死はもしかしたら、生命体が秩序立った量子の世界との結びつきを断ち切られ、熱力学のランダムな力に対抗するパワーを失うことかもしれない』。
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英国の気鋭の研究者二人が、

量子生物学の最新の成果と可能性を、


豊富な実例を通して
明らかにした

科学読み物。

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