大津皇子
(おおつのみこ)
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File No.160509


磯崎俊光「森の使者」
今、新聞で万葉学者・上野誠氏が「万葉びとの筑紫」という随筆を連載されている。「・・・筑紫」というだけあって、太宰府と関係の深い大伴旅人や山上憶良、朝倉で崩御された斉明天皇がよく登場する。今日も旅人の歌と斉明天皇のことが書かれていた。中でも2、4回に書かれていた大津皇子(おおつのみこ)と姉の大伯皇女(おおくのひめみこ)の話は胸を打つ。大津皇子は"奴の国の津"「那の大津」で生まれたので大津皇子と名付けられたという。改めてあの悲劇の皇子は、福岡と深い関係にあったことを知った。大津皇子は、「性すこぶる放蕩にして、法度に拘わらず、節を降して士を礼す。これによりて人多く付託す」と記録されている。それだけに我が子(草壁皇子)に皇位継承をと思う持統天皇としては気になる存在であったろう。"目の上のたんこぶ"は排除しておかねばならない。そこで突然持ち上がったのが大津皇子の「謀反」のうわさである。文武に優れ、人気の高かったがゆえに悲劇の皇子となった。

大津皇子と大伯皇女の母は、大田皇女(おおたのひめみこ)で、667年に亡くなっている。姉弟が6歳と4歳の時である。幼くして母を亡くし、支え合ってきた二人の絆は特に深かったと思われる。大津皇子は死を覚悟して、伊勢神宮の斎宮であった姉に会いに来ている。次の歌は、まだ24歳という若き弟を見送った後のなげきの歌である。
“我が背子を大和へ遣るとさ夜更けて暁露に吾が立ち濡れし”
“二人行けど行き過ぎ難き秋山をいかにか君がひとり越ゆらむ”
「暁露に吾が立ち濡れし」、姉としては、胸が締め付けられるような思いだっただろう。万葉集にある大伯皇女の歌は、すべて大津皇子を思い悲しんだ歌だという。
その大津皇子は辞世の句を次のように詠んでいる。
“百伝う磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ”
(磐余の池に鳴く鴨を見るのも今日限りで、私は雲に隠れ死んでゆくのか)
母・大田皇女を早くに亡くしたがための悲劇でもある。

磯崎俊光「捧ぐ」

身に覚えのない謀反の罪で処刑された大津皇子だが、七世紀は権力争いの激しい時代でもあった。一番有名なのは645年、中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌足によって蘇我入鹿を暗殺し、入鹿の父・蝦夷をも自殺に追い込んだ「乙巳(いっし)の変」である。これにより蘇我氏本家は滅びる。その3ヶ月後には有力な皇位継承候補であった古人大兄皇子も、謀反の罪により、これも中大兄皇子によって殺害される。649年には蘇我倉山田石川麻呂が陥れられ一族とともに非業の死を遂げ、山背大兄王一族も殺害される。658年には有馬皇子が、謀反を密告され、これもまた中大兄皇子によって処刑される。672年には「壬申の乱」が発生。天智天皇(中大兄皇子)が皇位を継がせようとした大友皇子と大海人皇子(天武天皇)の争いである。大友皇子は、権力を守るために大海人皇子を排除しようと動いた。ところが、東国の豪族を味方につけた大海人皇子の戦略勝ちで、大友皇子は殺害される。こうした時代の流れの中での、大津皇子の処刑である。不安の芽は徹底的に摘み取られていったのである。

七世紀終わり、天武天皇を中心とする中央集権が推し進められたが“ローマは一日にして成らず”である。日本の中央集権国家の形成は、七世紀初めから始まっていた。天武天皇の時代がその仕上げの時期にあったといえる。七世紀はじめ、大陸との交流によりもたらされた文明は、国家形成に大きな影響を与えた。推古天皇、聖徳太子の時代、「官位十二階」による組織編成、「憲法十七条」による官司制などが制定される。大化の改新では、全国的な人口や土地の調査が行われ、地方行政区画として「評(こおり)」も設置された。白村江の敗北は国家的危機をもたらし、さらに中央集権国家の整備が急がれた。天智天皇の時代には「庚午年籍(こうごねんじゃく)」という全国的な戸籍が作られる。そして天武天皇の時代になる。壬申の乱で勝利したことが追い風となった。天皇の権威を高め、律令国家へと導く。「天皇」という称号、「日本」という国号、国家的祭祀、律令や歴史書の編纂が始まる。道半ばにして逝った天武天皇の後を引き継いたのが持統天皇であり、天武天皇と持統天皇によって、国家の基礎が整えられた。権力闘争と中央集権国家の形成、七世紀は激動の時代にあり、その中で翻弄された大津皇子、大伯皇女が悲しい。もし大津皇子が皇位についていたら、才気煥発、はつらつとした天皇誕生で、天武天皇の事業の引き継ぎながらも、また違う世界が現れていたかもしれない。


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絵画:磯崎俊光氏作品
上: 改組 新 第1回 日展 「森の使者」
下: 第45回  日展 「捧ぐ」

有田陶器市で買った湯呑。
いただき物です。

お茶を呑むのに“湯呑”とはこれいかに。
ご飯を食べるのに“茶碗”と言うが如し。