JR筑肥線で古墳巡り
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SUGOCAデビュー記念カード

今宿駅へ向かう途中305系とすれ違う
糸島では古墳時代から奈良時代まで途切れることなく、かなりの数の古墳が存在する。これは全国でも珍しいことだという。そんな糸島の古墳群の中の今宿古墳群と、長野川流域古墳群をゆっくりと歩いた。春風に吹かれながら、かつて糸島を治めていた有力な首長たちに想いを馳せるのもまたよしである。

今 宿 駅

今宿駅から周船寺駅に向け出発
JR筑肥線今宿駅から周船寺駅の間には、上の地図に示した通り大型の古墳が点在している。周辺の丘陵などこの一帯には大小の古墳が約350基もあるという。中でも7基の前方後円墳は、今宿古墳群として国史跡に指定されている。その年代も4世紀前半から6世紀前半までと長く、東遷した邪馬台国(大和政権)との強い繋がりを思わせる。

大 塚 古 墳

女原(みょうばる)瓦窯跡
まずは国指定史跡・今宿大塚古墳。6世紀前半に造られた古墳で、前方後円墳の様子がよくわかる。その規模は北部九州屈指で、二重の周濠まで含めると100mにもなるという。この古墳の周辺は公園にするのか、工事が行われていた。
古代の迎賓館「鴻臚館」の瓦はここで生産されていた。鴻臚館跡出土の瓦と女原瓦窯跡出土の瓦の双方に同じキズがあったことが決め手になったという。案内板には鴻臚館にかかわる重要な遺跡として国史跡になったと書いてあった。

山の鼻1号墳

若八幡宮古墳
築造は4世紀前半とみられ、今宿古墳群の中でも一番古い。大和政権がまだ始まったばかりの時代である。ここの首長が糸島水道の管理をしていたのだろうか。後円部はすでに削り取られているが、後漢時代の銅鏡の破片などが出土している。
この古墳は4世紀後半の前方後円墳である。神社の社殿の真裏に後円部があるが、前方部は削り取られている。後円部に直葬された舟形木棺には鉄製環頭太刀、剣、刀子などが副葬されており、武人的な首長だったと思われている。

丸隈山古墳入口

丸隈山古墳石室
5世紀前半の前方後円墳で、国指定の史跡である。石室は常時公開されている。竪穴系の横穴式石室で、横穴式では初期のものだという。石室の壁は小口の割石を積み上げたもので迫力がある。糸島の中でも古墳の規模は大きく、また副葬品からも、糸島平野全体を掌握した首長だったとみられる。この古墳の東側にある徳永B遺跡の被葬者は、この首長に仕えた工人だったようだ。

伊覩神社

周船寺駅
この神社は、丸隈山古墳から周船寺駅に行く途中にある。御祭神の中に伊覩県主命(いとあがたぬしのみこと)とある。古墳時代の伊覩の国の県主(地方長官)、それは丸隈山古墳の被葬者だった。
周船寺駅に到着。この周船寺(すせんじ)という地名は、太宰府政庁の時代、舟を司る役所・主船司があったことに由来するという。いつの時代においても、糸島は地勢的に重要であった。

筑前前原駅からは103系で加布里駅へ

加布里駅に到着
イト・シマ”という地名には長い歴史がある。“イト”はもちろん弥生時代の「伊都国」のイトである。古墳時代の“伊覩(イト)の県主”にもみられる。一方“”についても同じである。魏志倭人伝にもあるが、太宰府天満宮の国宝「翰苑(かんえん)」には、伊都国の傍に“斯馬(シマ)国”があると書かれている。“糸島”という地名は、1800年の時を超えて、変わることなく受け継がれてきた由緒ある地名である。
釜 塚 古 墳
古式の横穴式石室をもつ5世紀中頃の大型円墳で、被葬者は糸島地方を治めた大首長である。丸隈山古墳の少し後の時代で、丸隈山同様、割石を小口積みにした石室を持つ。わが国の石室構造の変遷を知る上で貴重だと書いてあった。加布里駅のすぐ傍にあり、古墳の周囲は整備され釜塚公園になっている。

(305系) 花が咲き、水鳥が遊ぶ

(103系) 春うららの〜んびり散歩
この長野川流域にも古墳が密集し"長野川流域古墳群"と呼ばれる。この近くには"環深江平野古墳群"というのがあり、深江平野を取り巻くように古墳が点在しているという。対岸には糸島最古の"御道具山古墳"がある。これは九州最大の前方後円墳の可能性をもつといわれる。

昭和43年式 TOYOTA 1600GT
次の列車を撮影するため、一休みしていると、なにやら興味を引くエンジン音がする。振り返るとそれは「TOYOTA 1600GT」だった。ほぼ半世紀前の貴重な車である。生産されたのはわずか1年余りで、2200台ほどしか製造されていない車だという。目の保養をさせてもらった。
車といえば、先日テレビ番組「おぎやはぎの愛車遍歴」に、藤竜也さんが出演していた。昭和30年代の「ヒルマンミンクス」「フェアレディ1500」など、実に懐かしく観させてもらった。藤竜也さんは車に対する思いをこう言っていた。『車が好きなんですよ。目的地なんか無くても、ずっと走っていればいいんです。幸福感、これは最初から変わりませんね。今でも』。藤竜也さんの決して威張らない、それいて存在感がある、そんな気持のよい番組だった。芦川いづみさんもそんな藤さんに魅かれたのかもしれない。
銚子塚古墳
さて今回最後となる「一貴山銚子塚古墳」に到着。築造は4世紀後半で、若八幡宮古墳とほぼ同時期にあたる。長野川流域古墳群の中でも、釜塚古墳とともに代表的な古墳である。舶載の方格規矩四神鏡、長宜子孫内行花文鏡等10面の鏡や鉄製素環頭太刀などが出土、規模も全長103mと糸島最大を誇り、盟主的古墳とされる。
一 貴 山 駅 305系(一貴山駅にて)
今回の移動手段はJR筑肥線を使った。(聞くところによると「SUGOCAデビュー記念カード」は、プレミアがついているらしい) 前原駅〜一貴山駅間の移動は、せっかくだから103系にした。305系に置き換えられた103系だが、前原−唐津間ではまだまだ元気に走っている。
103系の運転席 一貴山駅から103系で帰路に就く

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