土井ヶ浜遺跡
(山口県下関市豊北町)
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File No.150917


人類学ミュージアム
国の指定史跡「土井ヶ浜遺跡」は、下関市豊北町にある弥生時代の集団墓地である。営まれたのは今から約2300〜2000年前、弥生時代前期後半から中期頃である。響灘に面した当時の砂丘は、今は数百メートルほど入ったところにある。これまでの発掘調査で約300体余りの人骨が出土している。だが、土井ヶ浜遺跡の価値は、大規模なだけではない。砂丘の貝殻の石灰分が人骨の保存状態を良好に保ったらしく、ほぼ完全な形で出土しているところにある。その埋葬形態は墓域の中心に位置する箱式石棺墓を頂点として、石囲墓、四隅に配石している墓、土壙墓などがみられる。土井ヶ浜遺跡は、弥生時代の葬送儀礼や人類学の研究に大きく貢献している。「人類学ミュージアム」では、発掘時の状況を復元し、ドーム状の屋根で覆って保護している。実にリアルな当時の埋葬を観ることができ、また、展示室には出土した副葬品をはじめ、調査研究から明らかになった日本人のルーツなどが、分かりやすく展示してある。

古庄浩明氏の「土井ヶ浜遺跡の祭祀と社会」によれば、出土した人骨の特徴の一つに「抜歯」があるという。墓域は、いくつかの集団に分けられ、それぞれの墓域ごとに抜歯する歯が違っていた。上あごの犬歯を抜く集団、側切歯あるいは犬歯と側切歯を抜く集団などである。それは所属する集団を表し、埋葬形態の違いから、身分の格差も表わしていた。墓域の中心に葬られた箱式石棺のある集団は、この地域に君臨し、頂点に立つ人物を擁していたと思われる。この墓域を中心にその両側に、別の抜歯形態の集団が葬られている。おそらく抜歯の違いは、その身分が代々受け継がれていったことを意味しているのだろう。こうしてこの地域における規律ある社会が形成されていたのである。ところがこの地域社会に、特定の墓域を持たず、抜歯を行わない集団がいたという。それは外から流入してきた集団のようなのだが、そもそも土井ヶ浜の人たちにしても、縄文人とはあきらかに違う身体的特徴をもっている。2000年という時の流れとともに日本人が形成されていくのである。
展 示 室


遺跡保存ドーム
土井ヶ浜遺跡のもう一つの特徴に、貝でつくられたアクセサリーの出土がある。貝輪、指輪、玉類などである。この装身具にはいくつかの意味があり、一つは身分の象徴としての威信財、あるいはお守り、もう一つはいつの世も変わらないアクセサリーである。15本の矢を受けた「英雄」と呼ばれる男性には南海産のゴホウラ貝の腕輪をしていた。遠く奄美や沖縄からもたらされたこの貝は、当時としてはかなり貴重なものであったろう。このゴホウラ貝の貝輪には、うずまき紋様が見られるという。以前「アイルランドの拓本展」に行った時、パンフレットにこう書いてあった。『うずまき文様は無限小への収束であり、無限大への発散であって、これは超現実的な世界である。この無限の世界とは我々の手の届かぬ世界であり、人間を超越した神秘的な世界であるだろう』。洋の東西、今昔を問わず、うずまき紋様には、深い精神性が秘められている。一方、土井ヶ浜近海で採れる二枚貝などの貝輪などは、女性や子供用であったようだ。

「鵜を抱く女」という女性の人骨が出土している。胸の部分に鳥の骨があったという。おそらくこの女性は、霊的能力を持ったシャーマンだったと考えられている。うずまき紋様に秘められた、弥生の人の精神世界はどういったものであったろうか。土井ヶ浜遺跡の埋葬は、すべての被葬者の頭部が海の方向に向いているという特徴がある。さらに特異なのが、一度埋葬された遺体の、頭部だけを一か所に集める集骨という再葬墓があるという。遺跡からは埋葬のための祭祀に使われたと思われる壺や高杯などの土器なども発見されている。葬送に際し、特別の器に供物などが盛られ、手厚く葬られたのである。死者との別れを惜しみ、あるいは再生を信じ、さらにはその社会の祖先として子孫を守ってくれることを念じたに違いない。「死」という過酷な現実を前にしたとき、葬送における祭祀は、「死」を受け入れるための儀式でもある。土井ヶ浜に生きた人たちも、身近な人の死を悼む心は、現代の人と変わりはない。
角島大橋

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土井ヶ浜遺跡〜角島大橋




2015/09/19 孫子の兵法
「孫子の兵法」にはこう書いてある。
『敵の5倍の兵力があれば、すぐ攻める。しかし、敵の10倍の兵力があれば、話し合いで決着がつく』。
敵を圧倒する兵力があれば、戦争しなくても相手は屈服する。
国対国においては「性悪説」が世界の常識である。そういう世界にあって同盟国は「集団的自衛権」で国家、国民を守ることが、これもまた世界の常識である。
戦後70年、アメリカの軍事力を背景に平和は保たれてきた。それがなければ日本は今頃、ソ連の領土になっているかもしれない。
領土拡大を虎視眈眈と狙う国に対して、日本は「この印籠が見えねえか」と、憲法9条を掲げるが、そんなものは銃弾一発で息絶える。