鈴木康広展
近所の地球/宇宙の黒板
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File No.150508

天神イムズ8Fで「鈴木康広展」(2015/04/25〜5/17)が開催されている。鈴木氏といえば瀬戸内国際芸術祭で発表した「ファスナーの船」が有名だが、この作品は高校美術の教科書に掲載されたという。今回の「近所の地球」はタイトル通り、身近なモノを素材にしながらも、地球を感じさせるという独特な発想の作品群である。その素材は、現在と過去などの時間であったり、身体の動きや空気、水、木々などごく普通に目にするものである。我々がそれを目にしても、素通りしてしまうが、アーティストの鋭い感性にかかれば、こんなにもユニークな芸術が生まれる。「宇宙の黒板」では、一転して地球を飛び出し、脳内が天空を駆け巡る。これは常日頃からの意識の持ち方次第と言える。一つの素材を、いろんな角度からみることで、それが時空を超え、メルヘンの世界へ誘(いざな)う。イマジネーションから生み出される芸術は人間の特権である。

「地球の中心を指すコップ」という作品がある。キャプションには「地球のさまざまな場所にありながら、地球の中心で一点に集まるコップ」と書かれていた。コップの延長線が地球の中心に向かって伸びている図が描かれている。ただそれは理解できたが、もう一つの図に、「762.84km」と「1271.4km」という数字が表示されていた。地球の中心までのサイズから割り出されたものだとは思うが分からなかった。この作品を素材に考えてみた。地球のどこであっても、その下には地球の中心がある。つまり、地球のあらゆる場所が、地球の頂点なのだ。北極や南極は、その頂点の一つにすぎない。ヒトで考えれば、70億の頂点が存在している。もちろん1メートル前で話しているヒトでも、自分の位置から地球の中心に向かう線とは絶対に交わらない。「世界に一つだけの花」という歌があったが、我々すべてが地球の頂点に立つ「オンリー・ワン」なのだ。

重要なモチーフに「時間」がある。作品の「現在/過去」もその一つである。キャプションにはこう書かれている。『現在という判子を押すともう過去になっています。時間について考えると、「現在」を認識することは不可能なことのように思えてきました。・・・人間の認識そのものにもわずかな時間がかかっていることを考えると、自分自身の中に決して追いつけない「ずれ」があります』。我々の存在そのものは、すべて現在である。だが、鈴木氏が言うように存在と認識には「ずれ」がある。その「ずれ」は、人間の認識だけではない。光は速いと言っても、1秒間に地球7周半である。それは我々が認識するまでに時間を要するということでもある。100億光年かかって到着した星の光を我々は"今"目にする。それは目の前にいる人にも同じことが言える。その時間の到着は微々たるものだが、これもまた「ずれ」である。すなわち我々が認識するすべてのものは「過去」である。

もう一つのサブタイトルが「宇宙の黒板」である。この作品は今回の展覧会のパンフレットに使われている。宇宙を黒板に見立てるという壮大にして、夢のある作品だ。今や科学の発達によって、宇宙の始まりから現在に至るまで、その歴史が徐々に解き明かされてきている。「ダークマター」や「ダークエネルギー」など、仮説の域を出ない部分はあるにせよ、天地創造に神は必要としないとまで言えるようになった。だが鈴木氏の「宇宙の黒板」は、決してそんな科学を否定してはいない。宇宙飛行士が遊泳し、月のクレーターは、けん玉のお皿なのだ。人類は古来より、宇宙を見上げ、そこにいろいろな夢を描いてきた。2000年も昔にはすでに点在する星の上を想像上の動物が駆け巡った。日本では1000年前の平安時代、月からかぐや姫が舞い降りた。「宇宙の黒板」は、「科学の外側」でそんな夢のある時代に引き戻してくれる作品だ。

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鈴木康広展
近所の地球/宇宙の黒板

三菱地所アルティアム(イムズ8階)
イムズプラザ(イムズB2階)
2015/04/25〜05/17