改組 新 第1回 日展
(福岡展)
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File No.150404

絶対的権力は必ず腐敗する。そんな言葉がある。どうやら日展の不正審査(指摘されたのは書の部門)は公然の秘密だったらしい。作家さんたちも、「悪法もまた法なり」で、その世界で生きていくためには、このパワハラを甘んじて受け入れざるを得なかったのだろう。そんなこともあり、私は昨年の「日展」には足を運ばなかった。しかし、今年の展覧会は「改組 新 第1回 日展」と、改革実行の意気込みが伺える名称になっている。今回の審査は、キャリアではなく、可能性、新鮮さ、意欲を感じさせる作品に光を当てたという。優れた作品だけを選ぼうという、かなりシビアな雰囲気が伝わってくる。たしかに今回展示してあった作品の中に、何点かはこれまでとは異質な作品があった。たが、しかしである。「文展」「帝展」以来100年の長きにわたって、日本の美術をけん引してきた「日展」である。そこには築いてきた伝統というものがあるはずだ。公平な審査の下「日展らしさ」を守りつつ、「意欲的な作家を育てる」といった方針とのバランスが求められる。

哲学者の矢野茂樹教授が、新聞の連載随筆でこう書いていた。『・・・「すべては今」という感覚もある。さまざまなものを見聞きしているのも「今」、過去を思い出すのも「今」、未来を考えるのも「今」でしかない・・・』。我々は、「今」にしか存在し得ない。その存在した一瞬の時間、光、空気、心の動きを切り取ってキャンバスに表現する。「After Dark」の作者・中島健太氏は『夜には妖艶とも魔性ともいえるような魅力がある。それは夜が次の一日の可能性を含み、しかしその可能性はポジティブにもネガティブにも成りうるもので、そのゆらぐ可能性にこそ私は魅力を感じているのかもしれない』と書いている。静寂の中、やさしい灯りに包まれ、何とはなしに読みさしの本を開く女性。ふっと目を上げ心に浮かぶのは"今日という過去"なのか、"明日という未来"なのか。女性の表情から、明日に少しだけ気がかりなことがありそうだ。しかし、そんなに深刻ではない。「大切な取引先へのプレゼンテーション。しっかり指導しておいたから、きっとA君はうまくやってくれると思うけど・・・」。
「After Dark」
中島 健太


「繋ぐ」武田 司
「繋ぐ」の作家・武田司氏は「森の中のあらゆる生物・植物がその生命を終えると、新たな生命を育むための土や、他の生命の糧となる。次世代へと繋いでゆく土中の様子を描きました」と書いている。古代ギリシャの哲学者・ヘラクレイトスは「万物は流転する」という言葉を残した。地球に生きる全ての生命はもとより、地球や太陽、銀河ですら終わりがある。その終わりは、次の始まりへと繋がっていく。作品では、土の中に埋もれた蝶の羽、しかし、そこには瑞々しい新たな生命が生まれ出ようとしている。作者の死生観を、伝統的な漆、螺鈿、蒔絵を駆使して表現したレリーフは見事である。三田村有純氏も第45回の作品「輝かしい生命・永遠に」では、「命が生まれやがて終わる、また新たな命が生まれそして終わる。永遠に繰り返される事の重み。その一つ一つの命の持つ意味は大きい」と心象風景を表現していた。美術工芸は、さまざまな素材や技法を使って、抽象的に、具象的に、平面的に、立体的に多彩な表現をする。そこが魅力で、どの作品も観ていて引き込まれる。

毎回必ず「日展アートガイド」を買って、これを見ながら展覧会をゆっくり廻っている。作家さんがなにを想い、それをどう作品に込め、観るものに如何に訴えかけるのか。中島健太氏のように「女性が一体なにを感じているのか、想像して頂けたら幸いです」などと問われたら、もう絵の中に入り込み、異次元空間を浮遊している。この「アートガイド」は家でも、くつろいでいるとき、めくって楽しんでいる。去年は、(私ごときではあるが)ささやかな抗議で、展覧会にこそ行かなかったが、気になる作家さんが、今年はどんな作品を出品したのだろうと、「アートガイド」だけはインターネットで購入した。もう何人もの作家さんの画風も分かっている。生命力や心情、そこを包み込む空気感などを、どんな色彩で、優しく、あるいは高揚感をもって表現しているのか。展覧会では、そんな作家さんの作品と出会う楽しみがある。「新日展」は、そんな一小市民の楽しみを裏切らないものであってほしい。
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「風の音」河村源三

「路」大谷喜男

「炎立つ」三田村有純

わが家のミニ美術館



福岡 ミュージアム ウィーク2015
2015・05・16〜05・24

福岡市博物館、福岡市美術館、福岡アジア美術館、福岡県立美術館など

 期間中、常設展観覧料や入館料が無料!

2015/04/04 「嘉永5年寺山干拓潮止図」糸島市指定文化財に
糸島市教育委員会は、「嘉永5年寺山干拓潮止図」を市の文化財に指定した。これは江戸時代(1852年)に行なわれた、雷山川下流の干拓の模様を描写した絵図である。報道によれば、干拓の模様を視覚的に描いた絵図は九州では例がないという。
「新修・志摩町史」には「・・・堤防全体を29の丁場に分割し、それぞれを原則として村単位で担当する責任丁場制がとられていた。工事の遅れや、施工の不具合がでると、村全体の責任として厳しく追及される。・・・」と記されている村の名誉をかけて、必死だった様子が伺われる。