健さん 逝く 随筆のページへ

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File No.141122

去る10日、高倉健さんが亡くなっていたことが分かった。これは高倉プロモーションから報道各社へ送られてきたFAXで知らされたものだった。誰もが、あの健さんが亡くなることなど予想だにしなかった。健さんは、昭和40年代から半世紀、日本の映画界を牽引し続けてきた。日本映画の大黒柱だと言っても過言ではなかろう。健さんから映画人としての多くを学んだ俳優たちも多い。吉永小百合さんもそのひとりである。映画「動乱」で共演し、健さんの集中力、息づかい、その世界観に打たれ、「映画の世界に生きることの素晴らしさを教えていただきました」とコメントしている。だが健さんのすばらしいところは、それだけにとどまらない。映画を撮り終えたとき、別れを惜しんで男泣きするほど、撮影スタッフたちからも慕われていた。健さんの偉大さは「人を思いやる優しさ」にある。それは親しい人のみならず、一期一会の人にさえも分け隔てがなかった。

健さんのイメージと言えば、CMでも有名になった「不器用ですから」がある。愛情表現がうまくできない男の設定である。まさに「幸せの黄色いハンカチ」の勇さんそのものである。まっすぐで一本気、心にある愛情を、「不器用」で「寡黙」がゆえにうまく表現できない。健さんの映画は、背景や人物が変わっても、本質的な部分は変わらない。島勇作も、三上英次も、佐藤乙松も、倉島英二も、みんな不器用ながら、人を思いやり、誠実に生きている男たちである。それは主人公たちの生き方と、高倉健さん個人の生き方に通じるものがあるからだろう。健さん自身がこう言っている。「自分がそういう人に、何かを感じるようになっているのかもしれません。感じられないとやらないと決めていますから」。この短い言葉の中にも、健さんの筋を通す、それこそ一本気な生き方が感じられる。つまり映画の中の健さんは、高倉健さんの人生とオーバーラップするのである。

健さんは去年、文化勲章を受章した。映画一筋でやってきた人では初めての受賞だった。おそらくこれまで健さんに、あこがれ、心酔し、応援してきた人達は、大いに拍手を送ったに違いない。ビートたけしさんは健さんについて「独特の孤独感がある」と言っていた。健さんのそんなところも相まって、日本人の心の奥底を揺らしたのではないだろうか。受賞式後の記者会見で、健さんはこう言った。「日本人に生まれて本当に良かったと、今日思いました。・・・一生懸命やっていると、ちゃんと見ててもらえるんだなと素直に思いました」。"日本人に生まれてよかった"それは逆に、日本人としてあるべき姿を演じ、日本人としてあるべき生き方を見せてくれていたとも言える。映画界において確固たる地位を築き、日本を代表する俳優・高倉健。「国民栄誉賞」という声が聞こえてもおかしくない。安倍首相も記者の質問に否定はしなかったという。ぜひ国民栄誉賞の受賞者に名を連ねてほしい。

健さんはこう言っている。「誰かを想うということが、一番強いと思う。人間が人間を想う。これ以上美しいものはないよね」。テレビで多くの人のコメントが流されたが、どれもがその人の人生に影響を与えたような、温かく心に沁みるような思い出ばかりだった。私が「あなたへ」のロケ地・平戸市の薄香を訪れたときのことである。健さんと握手をしたという男性も「健さんが1シーン取り終えて、近くで腕組みをしていたんです。しばらくして近くにいた私に、健さんの方から"漁師さんですか"と話しかけてくれたんです。握手をしましたが大きな手で、実に男らしい方でした」と嬉しそうに話した。健さんはどんな人と接するにも優しさがあり、それは一般の人に対しても変わることはなかった。「自分自身を厳しく律し、人には思いやりをもって接する」。それが健さんの生き方である。「毎日が日曜日、ときどき祝日」などという、ゆるゆるの毎日を送っている私だが、しかし心のどこかに健さんは生きている。


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『網走番外地』・・・・若き健さん

2014・11・26 柳亭市馬さんの「俵星玄蕃」
さっき、テレビの歌番組「人生 歌がある」で、柳亭市馬さん「俵星玄蕃」を聴きました。
いや〜、聴き惚れましたね。あのパワーに圧倒され、テレビに釘付けでした。
見事な歌いっぷりに感動!!!
こんな感覚、久しぶりでした。
日見子と顔を見合わせ、誰???
早速、調べてみると、何と落語家さんじゃーありませんか。参りました!!!