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File No.141119


7月の長者原
左の写真は7月ころに撮った「やまなみハイウェイ・長者原付近」の景色である。青い空と緑に覆われた高原、それに豪快な山のたたずまい。その中を"やまなみハイウェイ"が貫く。軽くアクセルに足を置き、澄んだ空気を切り裂くように愛車が疾走する。まっすぐな道も良し、また変化に富んだワインディング・ロードも良しである。行きと帰り、同じコースを通っても、目の前に現れる景色、差し込む光が違う。言ってみれば、これは自然が描いた絵画である。目の前に"額縁の無い絵画"が豪快に、そして繊細に現れては過ぎ去っていく。絵画は画家のフィルターを通して表現される。しかし、ドライブで目にする景色は、誰にも邪魔されない、自分自身のフィルターで鑑賞する絵画である。四季それぞれに違う表情を見せ、「どうだ、参ったか!」と言わんばかりに挑発してくる。私は他のスカイラインを走ったことはないが、間違いなく"やまなみハイウェイ"は日本で一番だと思っている。

今年はもみじ狩りを「植物の営み」という少し違った視点から眺めてみた。植物は光合成で、自らエネルギーを作り出し、生きている。それを効率的に行っているのが葉である。葉は二酸化炭素を吸収し、太陽の光でエネルギーを作り出す。秋が過ぎ、冬を迎えようとしている季節。落葉樹は、朝晩の気温が10度を下回るような冷え込みを感じると、紅葉が始まり、やがて落ち葉となる。次第に落ちてくる光合成の能力。落ち葉は、葉によって失われるエネルギーや水分のロスを防ぐのである。幹の細胞の中では、冬の寒さでも凍らないように、糖類の濃度を高めている。我々は、冬野菜は甘いと、うまそうに食べるが、それは植物が厳しい冬を生き抜くための営みの結果であり、人間においしく食べてもらうためのものではない。そのエネルギーで厳しい冬を耐え、春になると「冬芽」が葉を茂らせるために使われる。葉の付け根を見ると、しっかり「冬芽」が出来ていた。
春を待つ冬芽


紅葉は生きる延びる手段
山々が赤や黄色で彩られ、まるで我々の目を楽しませるための演出であるかのようだ。中でも真っ赤なカエデには特に目を奪われる。過日放映されたBBC制作の科学番組で、人間がなぜ「赤」を認識できるのかを説いていた。それは動けない植物が、「種(たね)」を運んでもらうために作りだした果実と、それを食べて生き延びてきた霊長類の共生関係に起因する。進化の過程で植物は花を発達させ「種」を内包する果実をつくった。その果実が熟すと、赤い色で食べごろを霊長類に教えたのである。霊長類はその赤を認識する能力を得たことで、食糧を得てきた。その霊長類とは、我々の祖先の「猿」である。猿は果物をとるのに適した身体に進化し、我々人類がそれをそのまま引き継いでいる。ほとんどの哺乳類が色を見分けることが出来ない中、霊長類は生き延びるために「赤」が見分けられるようになった。やがて人類は紅葉や多くの花々の色彩を認識し、季節の移ろいを楽しむまでに進化したのである。

紅葉の時期が過ぎると、枯葉が地面を敷き詰める。この枯葉は土に還り、次の世代の養分となる。その循環に重要な働きをしているのが"菌類"であり"ミミズ"だという。こうして植物の命はつながっていく。しかし、木が根を張って、養分を吸い上げる土はどうして出来たのか。元々、地球は火星などと同じように、岩石だけの惑星だった。その岩が風化し、水によって割られ、生物によって分解されていく。気の遠くなるような長い時間をかけて土ができていくのである。土が出来たことで、植物は地上に上がり、地球の姿を一変させる。まさに"やまなみハイウェイ"に見る“緑のジュータン”である。植物は地球に大気をもたらし、オゾン層をつくり、降り注ぐ紫外線から地球を守っている。植物によって生きる環境が整えられ、多種多様な生物を育み、生命あふれる地球になったのである。
落ちた葉は土に還る


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