縄文人からの伝言
(岡村道雄著・集英社新書)
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File No.141113

この本の「縄文時代年表」には“縄文時代草創期”について、次のように書かれている。『氷河時代が終わって温暖化した。日本海側に暖流が流れ込み多雪、湿度の高い六季のある現代の気候環境に近づく』。時代は今から1万5000年から1万1500年前のことである。私は以前の随筆で次のように書いたことがある。
日本には四季があり、日本人はその自然が見せる豊かな表情と共に生きてきた。日本人の繊細で優美な感性は、その自然によって育まれてきたものである。自然を尊重するその精神は、日本が生み出したすべての文化に一貫して流れている。 ・・・海からのぼる大量の水蒸気を、偏西風が運んで雨を降らせ、田畑や森を潤し、生き生きとした緑を育てる。そこに多種多様な動物を育んできた。・・・陸と海、その四季の移ろいが、研ぎ澄まされた日本文化を生み出す環境をつくってきたのである。
これまで日本人の自然環境への深い思いの認識はあったが、その原点への意識はなかった。この「縄文人からの伝言」を読むと、今に至る日本文化の基礎を築いてきたのは、まさに縄文時代であったということがよく理解できる。

縄文人たちは、ウルシの木を植え、樹液の掻きとり技術を持ち、祭りや祭祀用の器物を作っていたという。著者は「漆工芸は自然物による総合的な技と美の極致を示す。まさに日本文化のものづくりの代表と言える」と言っている。縄文時代のものづくり技術は、今も確かな技術として受け継がれている。今年、「日本伝統工芸展」の文部科学大臣賞を受賞した漆工芸家・大角祐二氏の「月華」という作品がある。身近にある動植物を大切なテーマとしている大角氏は、「月華」でも黒い漆の上にすすきを描いている。その大角氏は、作品に込めた思いをこう語る。「自然によって人間も動物も生かされている訳ですから、大事にしながら生きていくということだと思います」。「縄文人からの伝言」の中でも縄文人の生き方について『周りの里山などとともに自然の一員として生き、季節や生命の循環にまかせて日々を送っていました』と書かれている。まさに大角祐二氏の思想とそこから生み出される作品は、日本文化の原点を表現しているように思える。

縄文時代を語るのに鹿児島・国分市の「上野原遺跡」は外せない。その驚くべき発見は、三内丸山遺跡をはるかに遡り、「縄文文化の起源」を探る原点と言われる。今から約9500年前の定住の跡がほぼ完全な形で、発掘されたのである。そこから出てきたのは、住居跡のほか集石遺構、墓地などそれまでのイメージを覆すものだった。その一つに「連穴土坑」というのがある。これは肉などの「燻製(くんせい)装置」と見られている。二つの穴を小さなトンネル状の横穴で繋ぐ。一方に肉を吊るし、もう一方で火を焚いて、その煙で燻製をつくり保存食にしたのである。海の幸を得、ドングリを育て、貯蔵し、燻製という技術で保存食をつくる。9500年前の豊で安定した食糧事情が定住を可能にしたのである。縄文人は、里山や海の恵みを受けながら、自然とともに淡々と生きてきた。竪穴住居の中で、家族で満足な食事をとり、平穏な日々を送る。それが縄文人の幸せの基準だったのだろう。それ以上を望まない、そんな生き方が1万年という時を積み重ねさせたのである。

本には『縄文人は自然と共に生かされたことで、価値観や哲学、人生観、信仰心といった、生活や生き方を与える高度な精神文化を発達させた』と書かれている。豊かな自然の恵みに感謝し、自然とともに生きていた縄文人。"自然から生かされている"そんな思いは当然あっただろう。循環する自然とともに、死者もまた自然に帰り、またいつしか再生すると信じられていた。それは死者が集落の傍に、一人一人手厚く葬られていることで推測できる。こうした人生観や価値観は、カミへの畏敬の念として祭祀や祭りとなる。土偶や祭祀用と思われる土器類の出土は、シャーマンの存在を物語る。こうしてあらゆるものに感謝しながら生きた縄文人たち。定住による豊で安定した生活は、精神面を大きく発展させたのである。著者は近年の精神文化の荒廃を憂い、『人々にとっての幸福、本当の豊かさや発展とは何なのか』と、人間としての根源的な生き方を問うている。


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尚、上の画像は
南日本新聞社・1997/07/22発行
「発掘!!上野原遺跡」
掲載の画像です。