玄海国定公園の石たち
[巨石]→[大石]→[小石]→[砂]
(糸島市・唐津市)
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File No.141103

村を守ってきた「箱島様」
糸島市内から唐津に向けて、海岸線を走っていると、海の中に神社が見えてくる。「箱島神社」である。ここには村を守ってきた神、大漁の神、愛の神の三柱の神様が祀られている。奉納されている火吹き竹で耳を吹くと、耳の病が治るとも伝えられている。海に浮かぶ島だが、海岸から橋が架けられているので、歩いて参拝できる。この神社を参拝するとき、巨石の間をぬう様にいく。巨石と言えば、古来より日本には「盤座(いわくら)信仰」というのがある。箱島様は関係なさそうだが、「盤座信仰」は自然崇拝の一つである。巨石が神様降臨の依り代となる出雲系の祭祀である。ヒマラヤ山脈は、その昔、海底だった。プレートが押し上げてつくった、地球のシワに、人間は登るのに命がけである。そんな事を思うと、巨石を前にして、自然の力の偉大さを改めて感じる。

更に海岸を走ると、糸島市(福岡県)と唐津市(佐賀県)の境界に「包石」というのがある。大きな石を積み上げたものである。そのすぐ傍に由来が書かれた碑が建っている。1588年の記録によれば、この場所で肥前国と筑前国の境界線の協定を締結されたという。いつ建てられたのか分からないが、平成14年に台風で倒壊(平成16年に復元)するまで、少なくとも400年余りの時が経っている。その間、地震、台風といった天変地異にも耐えてきたのである。今も活躍する石積職人「穴太衆(あのうしゅう)」は、自然石をそのまま使って堅固な城壁や石垣を作る。「石を積む」、ただそれだけにも、奥深い技術がある。ところでこの包石は、何ともユーモラスな格好をしている。私には、まるで熊のぬいぐるみが座っているかのように見える。頭に相当する石の模様が、顔のようにも見え、両手を前にして、足を投げ出している。 肥前国と筑前国の境界「包石」

この石にも長い歴史が・・・
人類の歴史は、わずか500万年。地球の歴史を1年間にするなら、人類の歴史は12月31日の午後からである。それに比べ岩石は、地球にとどまらず太陽系の惑星はみんな似たような岩石でできている。浜辺にたたずむ小石の歴史は、あるいは人類の歴史よりはるかに長い歴史かもしれない。今回偶然出会った小石二つは、どれほどの歴史をもっているのだろうか。どちらの石も重さは200gほどである。白い小石は、角が取れて丸くなっている。手の中にすっぽり収まって、適度な重さと、滑らかな肌触りで気持ちがいい。石の形状は完全な卵型ではなく、ゆるやかなカーブが付いている。これが手のひらの起伏に微妙にフィットする。もう一つの黒い石の方は、逆にゴツゴツと角ばっている。この形状がペーパーウェイトに丁度いい。きらきらしたクリスタルのペーパーウェイトもいいが、自然石が机の上を飾るというのもまた乙なものである。

唐津市に入るとすぐ、緑のトンネルに入る。日本の三大松原に数えられる「虹の松原」である。風光明媚とはこのこと、5kmにわたる「虹の松原」と、それに沿ってきれいな砂浜が広がる。まさに白砂青松である。ところがこの砂浜もご多分にもれず、浸食による消失が深刻な問題になっている。一般的に砂浜の消失は、護岸工事や自然災害、あるいは温暖化による海面の上昇といったものが考えられる。港湾工事によって海流が変わり、砂が大量に流出しているところもあるという。虹の松原・砂浜消失の原因調査は、まだ緒に就いたばかりのようである。特に浜崎海岸は冬場の荒波で、砂浜が大きくえぐれるほどだという。有識者の調査結果を待たねばならないが、事は急を要する。玄海国定公園の一角である糸島市から唐津市までの海岸線を、「石」というキーワードで眺めてみたが、その変化に富んだ美しい景色を壊すのも我々であるし、また守るのも我々である。 白砂青松「虹の松原」


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