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File No.141007

昭和39年は、私が田舎から福岡へ就職で出てきた年である。この年の10月10日東京オリンピックが開催され、それに先立ち東海道新幹線や東京モノレールが開業した。国産旅客機YS-11が就航したのもこの年である。あれからもう50年も経つのか、と思うと改めて感慨深いものがある。開業した東海道新幹線は、0系新幹線で、東京、大阪間を3時間10分で走った。営業運転での210km/hは、当時世界最高だった。大都市間を高速で結ぶ新幹線の成功は、その後の日本経済に大きく貢献することになる。東海道新幹線の「輸送人口キロ(輸送人口×距離)」と「GDP」は、ほぼ同じ推移を辿っているという。それは新幹線の「安全性」「正確性」に支えられてきた。徹底した安全性の追求はもとより、その正確さも世界で類を見ない。「定時」と「快適」の両立、そこには運転士さんの優れた運転技術があった。例えば、通過駅までの距離と通過予定時刻から、暗算で適切な速度を計算して運転しているという。新幹線は、携わる人たちの質の高さまで含めて、日本が世界に誇る「鉄道システム」だと言える。


新幹線の歴史は、歴代の技術者たちによって、それまでの技術をベースに、新たな領域へ挑戦してきた歴史でもある。新幹線車両の原点とも言うべき「0系」は、テスト走行で当時の世界最高256km/hを記録している。「100系」ではサービス面での充実が図られた。しかし何といっても新幹線に劇的な変化をもたらしたのは「300系」である。航空機との競争に勝つために、東京−大阪間を2時間半という目標が設定された。その為には270km/hをクリアしなければならなかった。そこで大幅な見直しが行われ、車体をアルミ合金にし、台車やモーター、座席に至るまで徹底的に軽量化が図られた。こうして所期の目的は達成され、この技術はその後の「700系」「N700系」へと引き継がれていく。つまり「N700系」は、これまでの新幹線で培われた技術に新しい技術を加えた最高の車両といえる。たとえば「N700系」のR2500における「車体傾斜装置」である。路線情報をコンピュータにインプットすることによって、正確なカーブへの進入を把握し、瞬時に車体を傾斜させ、R2500を直線区間と同じスピードで走り抜ける。


100系

300系

欄外に掲載した昭和35年8月22日の新聞記事は、私がまだ中学生のころスクラップしたものである。たまたま散逸せずに残っていた。東海道新幹線五ヵ年計画の二年目の時期にあたる。これを読むと、用地買収が国鉄所有地を含めても、64%が未買収だったとある。東京オリンピックに間に合わないどころか、あるいは白紙撤回の可能性さえあったのだ。用地買収と言えば、東京モノレールもまた、同じように用地買収で苦労があったと聞く。東京オリンピックに向け、起工式からわずか1年4か月で開業にこぎつけている。ところが開業直前の昭和39年夏になるまで終点の羽田駅の位置さえ決まらなかったという。その後の経緯は分からないが、新幹線も東京モノレールも、所期の目的を達成したのだから、並み大抵の苦労があったろうことは、想像に難くない。オリンピックに向け、新幹線が大都市間の大量輸送を果たし、東京モノレールは外国選手団の到着に間に合った。それを成し遂げ得たのは、東京オリンピックに向けた日本の燃え上がるようなエネルギーだったのだ。





0系新幹線は、多くの人の懐かしいシーンとともによみがえる。「夢の超特急」というキャッチフレーズは、国民の期待を膨らませるのに十分だった。新婚旅行や修学旅行で乗ったという楽しい思い出。家族で親戚の家に行った時の思い出。就職していく時に乗った0系新幹線。新幹線に乗ることが目的の人も多かった。車内に掲示されたスピードメーターが、210km/hを指すと、拍手喝さいで大いに沸いたという。あるいは、大阪万博では2000万人を超える人が利用した。これほど熱狂的に迎え入れられた鉄道があるだろうか。その成功が、九州新幹線を生み、東北新幹線を生み、更に北海道へ延びようとしている。近い将来北海道から鹿児島までが新幹線が繋がる。人の移動が活発になり、ビジネスも活性化し、日本の高度成長を支えてきた。新幹線は社会の構造を変えたと言っても過言ではなかろう。先日放映された「タモリ倶楽部」で、六角精児さんが自作の歌を披露していた。『速さは経済♪〜安心は国の力♪〜新幹線は未来への架け橋♪〜』。次は世界を目指して、更に進化である。


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[54年前の新聞記事] 昭和35年(1960年)8月22日 西日本新聞
各駅停車/夢の超特急プラン
路線に文化財山ほど/土地買収でモタモタ
今年は東海道新幹線五ヵ年計画の二年目になるが、問題の用地買収が進まず、現在までやっと23%がすんだだけ。なかでも大きなカベは史跡、古墳、天然記念物などの文化財だ。国鉄は低姿勢で新幹線開発の“公共性”を訴え、買収に懸命だが、文部省文化財保護委員会や地元の反対も強く、このままでは来年中に終わる予定だった用地買収プランをさらに延期するほか、ルート変更も避けられないようだ。
 国鉄が鳴り物入りで34年度から着手した東海道新幹線は広軌約500km、4年後の東京オリンピックに必要な用地買収は500kmのうち116km(23%)がすんだだけで、沿線にある国鉄所有地66km(13%)を除くと残り318km(64%)が未買収。この未買収分のなかでも国鉄にとって頭がいたいのは国や県指定などの文化財だ。
 東京−大阪間には古代文化の跡が多く、国鉄の依頼で文化財保護委員会が2km幅にわたって調査した藤沢−名古屋間だけでも(1)最も重要なもの88ヶ所(2)比較的重要なもの245ヶ所(3)発掘の必要がないもの899ヶ所がある。国鉄と各県市町村の間で古墳の模型や発掘記録を作成することで買収の話し合いのついたところもあるが原型の変更によって文化財の価値が失われるところは最も難関。
 とくに今問題になっているのが国指定の「老蘇(おいそ)の森」=滋賀県蒲生郡老蘇村=と県指定の「松林山古墳」=静岡県磐田市=の二ヶ所。老蘇の森は約2700年前、神助により地裂を止めようとして植えたといわれる由来の森。現在約80アールの区域に樹齢数百年のマツ、スギ、シイなどが広がっており、国鉄の設定ルートではこの森の一部を横断する。また四世紀ごろのものと推定されている「松林山古墳」も現在の東海道線に沿って大きく斜断される。この設定ルートにたいして地元は「国鉄が地元に相談なく一方的に設定したものだ。郷土の貴重な文化財をこわされてはたまらない」と国鉄側の買収計画を強くはねつけている。
これに対し国鉄技術陣の言い分はこうだ。
(1) 新幹線は傾斜千分の十(千メートルにつき高さ十メートル)カーブ二千五百メートル(半径二千五百メートルでえがいたカーブ)の制約があり一ヶ所ルートを変更すればその前後にわたって広範囲に変えなければならない。最悪の場合は設計の白紙還元に近い事態も起こる。
(2) 現在の設定ルートは調査の結果技術的に見て最良のルートだ。結局ルートを変更すれば東京−大阪間を二時間で走るという所期のスピードも出せなくなる。
このため国鉄は文化財保護委員会や各県教育委員会を仲介に引き続き地元を説得するが、場合によっては用地買収期間をさらに一年延ばすか、多少ルートを変更する可能性もあり「新幹線開発か文化財か」をめぐって当分国鉄と地元の対立がくすぶりそうだ。