第5回・福岡アジア美術 トリエンナーレ2014 随筆のページへ

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File No.141001

9/6〜11/30まで福岡アジア美術館で「第5回福岡アジア美術トリエンナーレ2014」(以下、FT5)が開催されている。これは3年ごと(但し、今回は5年目)に、アジア各国のアーティストの作品を紹介する国際展である。特に今回は、日本で初めて紹介されるアーティスも多いという。今回の開催趣旨の中にこんな目的が挙げられて入れている。『福岡の美術・文化関係者とアジア作家とが協働する場をつくりだし、継続的な交流と国際的な活動への機会を与え、福岡発の文化振興をはかる』。「徹底したローカリズム」とどこかに書いてあったが、開館して15年、福岡アジア美術館(以下、アジ美)の使命としてのこの基本は一貫している。FT5のテーマは「未来世界のパノラマ―ほころぶ時代のなかへ」となっている。このテーマの解釈はいろいろあると思うが、ひとつの捉え方として「ほころぶ」とは、気付かずに過ぎていく毎日の少しづつの変化であり、その固定化した価値観などから自分を解放し、世界を見つめなおし、未来を切り拓いていこうというのが「未来世界のパノラマ」である。

いつもながらアジ美の展覧会に来ると、全体から受けるエネルギーが全く違う。FT5の作品の中に「脊柱」(写真右)というスニール・シグデル氏(ネパール)の作品がある。この作品の前に立った時、作家の激しいエネルギーを感じた。キャプションを読んでみると、この作品はインドで働くネパール人労働者たちが使った皮手袋300双をつなぎ合わせたものだという。キャプションにはこう書いてあった。『ネパールでは一日に数百人もの若者が仕事を求めて出国し、そして数百人もの出稼ぎ労働者が一か月間に遺体となって帰国するという。汗と泥の染みついたひとつひとつの手袋は、家族を守るために闘った者たちの分身であるかのように、声にならないメッセージを発している』。これを読めば、この作品に心が震えない人はいないだろう。だがこの作品は、その過酷な現実から抜け出し、みんなが光の当たる未来世界へ這い上がろうとしている。そここそが、FT5の目指すところではないだろうか。
「脊柱」
スニール・シグデル氏
(ネパール)


「道景」
プラディープ・タラワッタ氏 (スリランカ)
時を同じくして、横浜では「ヨコハマトリエンナーレ2014」が開催されている。先日放映された「ぶらぶら美術館」(BS日テレ)では、このヨコハマトリエンナーレを芸術監督の森村泰昌氏の解説で鑑賞していた。このヨコトリの趣旨は『どこかに記憶されながらも、忘れ去られてしまった大切なものに目を向け、その大切さについて改めて考え、気づくきっかけを提示する』というものだ。展覧会のタイトルにある「華氏451度」は、摂氏233度で、紙が発火し燃えるときの温度だという。これに呼応するような「Moe Nai Ko To Ba(燃えない言葉)」と言う作品を紹介していた。これは製本やデザインで高名な方が、この展覧会のためにつくった、世界でただ一冊の貴重な本だという。この本はみんなが触れることができ、人々に記憶されていく。展覧会終了後は、しっかり弔って消滅させるという。しかし、ここからが大事だが、「本は消滅しても、みんなの心にしっかり残る。だから燃えない言葉」だという。う〜ん、すぐにでも行きたいところだが、いかんせん遠すぎる。

FT5には特に感じるが、多くの現代美術展がそうであるように、今現在の社会を反映させている。それはそれぞれの作家の今の価値観をアートという手段で表現しているからである。その作家の豊かな創造性から学ぶところは大きいはずだ。我々は、その作品とどう対峙し、どう受け止めるかであり、そこには自分だけの創造性と価値観が芽生える。それが、すぐに社会を変えていくとは考えにくいかもしれない。しかし、それが大きなうねりとなって、やがて社会を変えていく原動力になるはずだ。それこそが芸術の持つ力だと言える。日本には2000を超える文化の施設があるという。ハコモノ行政のなれの果てである。今、自治体はその維持だけで汲々としている。既得権益者に税金を横流しし、財政がひっ迫すると真っ先に削られるのが文化芸術の分野である。FT5をはじめ、特に国際展などは、その準備期間を含め膨大なエネルギーを必要とする。「瀬戸内国際芸術祭」には100万人を超える人が訪れた。地方の活性化のためにも、今行政の価値観を変えることが望まれる。

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スニール・シグデル氏「脊柱」(一部)