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File No.140804

今年は第1作の映画「ゴジラ」が誕生して丁度60年になる。この節目の年にハリウッド版「GODZILLA」が公開された。日米合わせると30作目のゴジラ映画になる。キャレス・エドワーズ監督は「僕はとにかく日本のゴジラ映画のエッセンスを大事にしたかった」と話す。今回の映画はまぎれもなく、日本のゴジラ映画を理解し、リスペクトしている。時代背景も第1作目と、現代に起きた3・11がオーバーラップする。映画は、放射能を吸収して成長する怪獣MUTOとGODZILLAが対決する構図だが、その根底には人類の"おごり"に対する警鐘が描かれている。「人間は自然には決して勝てない」。ゴジラはこれまで、破壊神として脅威を自覚させ、一方では守護神として現れた。「原始生態系の頂点に君臨する言わば"神"」。いかなる"神"にもなるゴジラだが、今回の映画ではMUTOという脅威と、救世主としてのGODZILLAの戦いが、それぞれを象徴している。「自然というのは常にバランスを保とうとする」。

1999年。日本のジャンジラ原子力発電所に勤務していたジョー・ブロディ(ブライアン・クランストン)は、電磁波と異常振動の関連を調査していた。技術者である妻のサンドラが原子炉の調査に向かったその時、原子炉は崩壊し、サンドラが亡くなる。2014年。何かが隠ぺいされていると、ジョーはずっとその事故を追い続けていた。ところが立入禁止区域に入り逮捕される。領事館から知らせを受けた息子のフォード(アーロン・テイラー=ジョンソン)は日本に向った。フォードもまた立入禁止区域に侵入し逮捕され、極秘の研究施設へ連行される。その施設で指揮をとっている芹沢猪四郎博士(渡辺謙)は、強い電磁波を放つ巨大な繭を調査研究していた。ところが、この繭から巨大生物が生まれ、空へ飛び去っていった。一方、GODZILLAも目覚めていた。体内に放射能を充満させたGODZILLAと、放射能を吸収し成長するMUTOの宿命の対決へと向かっていく。

左の画像は、ゴジラが雄叫びをあげているところである。このシーンには必ず、三縄一郎さんが暗中模索しながらつくったあの鳴き声が流れる。1954年、全く何もないところから、わずか半年であのファースト・ゴジラが作られた。架空の動物がどんな鳴き声をするのか、誰にも分からない。そんな中で生まれたあのゴジラの鳴き声は実にすばらしい。以前2004年のファイナル・ウォーズのとき、私はこんなことを書いた。『ありとあらゆる人間の武器で集中砲火を受けているゴジラの咆哮が、なぜか悲しく聞こえた』。ファーストゴジラでは、人類によって目覚めさせられ、人類によって海の藻屑にされる。ゴジラは心に渦巻く悲しみ、怒り、苦しみを、心の奥底から絞り出すように吠える。昭和59年「ゴジラ」の、三原山の火口に落ちていくときのその咆哮も実に切ない。関係者は直立不動で、悲しみをこらえながらゴジラの最期を見届ける。静かに流れる曲調と、あの咆哮に、誰もが感情移入する。

昭和29年、第1作目の「ゴジラ」に対して、30周年記念の昭和59年「ゴジラ」、そして今回の60年目のハリウッド版「ゴジラ」。節目の作品は、いづれもファースト・ゴジラの原点に戻り、リスペクトが感じられる作品である。ゴジラ映画は、それぞれの作品につながりはない。時代は違っても、原点に戻れば、やはりタイトルは、シンプルに「ゴジラ」である。映画をつくる人たちは"ゴジラ"にそれぞれ特別な思いを込める。また観る側も、それぞれの解釈をもって鑑賞する。その共通するところは、ゴジラへの畏敬の念である。それは、その存在がもはや"神"であることを物語っている。人類共通の普遍性が世界50カ国の人たちに受け入れられた理由だろう。特にアメリカでは、アメリカの文化に影響を与えるほど、熱狂的に受け入れられている。ハリウッド版「ゴジラ」は、その集大成だとも言える。


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ゴジラ復活
「 GODZILLA 」

2014年/米/2時間4分

監督:ギャレス・エドワーズ
出演:アーロン・テイラー=ジョンソン、渡辺謙 他

世界が終わる、
ゴジラが目覚める。

最高の恐怖、極限の絶望

2004年「ゴジラファイナルウォーズ」
公開記念フィギュア

ゴジラを支えたデザイナー
『特撮美術監督 井上泰幸展』

平成26年7月18日〜8月31日(入場無料)
サンフレアこが(福岡県古賀市中央2-13-1)

世界を驚かせたミニチュア特撮
円谷英二特技監督を支えた映画デザイナー

特撮美術のすべてに精通していたすごい才能の持ち主であるが、大変な努力家でもあったようだ。天才的な才能は、スタッフも知らない地道な努力によって支えられていた。