『 夢 違 』
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人間の心には「意識」と「無意識」がある。無意識は、心の深い部分に潜んでいて、意識はしていないが、日常の行動に影響を与えている。ところが恩田陸著「夢違」の無意識はスケールが違う。
個人個人の意識の外に、人類全体が共有する巨大な無意識があって、そこからいろいろなものがやってくるのさ。夢もそのひとつで文字通り「外から」やってきて、人類の脳に侵入しているという訳だ。人類全体をすっぽり覆う巨大な無意識。それがある意図をもって人間の夢に侵入してきたら。
我々の理解を超えてうごめく不可解なもの。それが「無意識」であり、それが我々に侵入して「夢」を見させるのだ。古藤結衣子は、予知夢を見ることが認められた日本で最初の人物である。彼女の見る夢は、すべて「予知夢」であり、かつ「悪夢」である。
今月初め、テレビドラマで「悪夢ちゃんスペシャル」というのを放映していた。これは、恩田陸著「夢違」をドラマ化したものである。そこでは無意識について、こう説明していた。
人間の意識は氷山の一角。その魂には無限の無意識が広がっている。そこにはすべての感情、すべての行動、すべての時間さえも眠っている。その少女の無意識は、他人の無意識とつながることができた。そして少女が眠るとき、その魂が目覚め、個人の不吉な未来が悪夢となって現れるのである。
彩未「琴葉先生の無意識の世界へ連れてって。出来る?」、結衣子「いいよ」。彩未先生は、夢を自由に操れる「明晰夢」という能力を使い、夢判断によって、古藤結衣子が見た悪夢を解決していくという設定になっている。

TVドラマ「悪夢ちゃんSP」

夢を映像化する「膜(ばく)」
小説の時代は、夢が「夢札」に記録され、「膜(ばく)」という夢を映像化する機械で見ることができる。この機械が開発されて、すでに20年が経つ。夢札に記録することを「夢札を引く」と言う。それは逆に「他人の夢札を入れる」ことも可能ではないか。『彼女は夢を受けるだけでなく、夢にアクセスできるようになったのかもしれない。ネット空間のように、我々は巨大な無意識を共有している。その世界を介すれば、どこにいても、どこからでも、誰の夢にでも入ることができる』。古藤結衣子は、夢を物理的にとらえた第一世代として、次世代の子供たちの無意識に「先祖」として潜んでいる。彼女は集団的無意識の一部として存在するのだ。
『自分の内側と外側が溶け合ってしまったような感じ。あるいは他人の内部と、自分の内部が繋がってしまった感じ』になるという「夢札酔い」。微妙にずれながらも重なり合う結衣子のいない世界と、いる世界。そんな浩章は、結衣子に導かれるように、法隆寺の夢違観音に来る。結衣子は『完全に夢の世界の住人になったとき、彼女は万能になり、彼女はこの世界の「どこにでもいる」存在になるんだ』。結衣子は、もう予知夢(悪夢)は見ないと、夢の中で浩章に言う。夢の世界の住人となった結衣子は、彼女本来の明るさを取り戻し、幸せそうである。結衣子のしなやかな動き、滑らかにひるがえるフレアスカート。愛の喜びに満ちた穏やかな笑顔で、浩章の手にそっと触れる。夢の世界と、現実の世界を重ね、いつでも浩章にアクセスできるようになった結衣子。思いもかけないエンディングに、心が軽くなるような読後感だった。
夢のメモリー「夢札」


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