再興第98回・院展 随筆のページへ

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File No.140512
「院展」とは、日本美術院が主催する展覧会で、日本画のみを対象としている。この日本美術院は、明治31年(1898年)岡倉天心によって創設された。明治になり、西洋美術が入ってきて、日本画は衰退しつつあった。危機感をもった天心が目指したのは「日本の伝統美術の保護と、新しい日本絵画の創造」だった。岡倉天心没後、大正3年(1914年)に横山大観らは、天心の意思を引き継ぎ、日本美術院を再興させた。今年はそれから丁度100年である。パンフレットには『院展の作家たちは、日本の伝統を踏まえたうえで、そこに新たな方法を加えながら、より高次元の美を探究してきました』と書いてある。今年は節目の年ということもあり、北九州市立美術館(分館:北九州市小倉北区)まで足を運んだ。
展示された作品の中でも私が注目したのは、妙高山(新潟県)を描いたという大矢紀「雨余光陰」である。数年前からこの天心が愛した妙高山一帯を描いているという。大矢氏は「節目の年に作品を出すことができる幸せをまず喜びたい」と話す。作品は「激しい風雨の中でスケッチ。帰ろうと思った時、雨が上がり、差し込んできた一条の光を描いた」という。山は雪に覆われ、裾野の森は冬枯れ、厳しい自然に容赦なく風雨が襲う。それが突然止み、雲が天に昇っていく。そこに一条の光が差し込み、金色に輝く山肌。山々の向こうには、雲間からかすかに開けていく兆しが見られる。ドラマチックに移り変わる大自然に、突き動かされるように描いた大矢氏。これはまさに天心へのリスペクトの心が通じたのではないだろうか。
大矢紀「雨余光陰」

斎藤満栄「遊行柳」
斎藤満栄「遊行柳」という作品がある。この作品の柳の枝など、なにか円山応挙の「藤花図」を思わせる。伝統的な画風は、格調が高く、この作品の前に立つと、ふっと気持ちが和らぐ。日本画は、自然の美を重視する。芭蕉の句に発想を得て制作したというだけあって、この絵には、日本の歴史や日本人の心が込められているような気がする。美しい景色を描いた作品と言えば、大野百樹「冬来」がある。この作品にも釘づけになった。キャプションには「このススキの曽爾高原は三重と奈良にまたがり爽快で優しく冬来る頃は身も心も同化してゆく」と書かれていた。山裾一面にひろがるススキが、細かい点描で、丁寧に描かれている。春夏秋冬、日本の豊かな自然が千変万化の表情を見せる。「身も心も同化してゆく」という言葉に日本画家の心を感じた。
19世紀のヨーロッパ、印象派の時代に、ジャポニスムという日本ブームが起きた。日本の千年を超える歴史のなかで育った文化は、衝撃をもって迎えられたのである。もちろん、その芸術性が理解できる国であったことが幸運だったと言える。日本では明治になり西洋化が進められ、油絵が入ってきたことで日本画が衰退しつつあった。しかし、ヨーロッパでは、ジャポニスムというブームが起きるほど、その日本文化の芸術性は高く評価されていたのである。考えてみると、日本の「鎖国」は、ある意味ガラパゴス化といえるのかもしれない。始めこそ外国から入ってきた芸術だが、繊細な感性によって独自の発展をとげたのである。そんな長い歴史と伝統のある日本画を受け継いでいる院展である。今回の展覧会の標語は『日本には、院展がある』になっている。
大野百樹「冬来」




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