“幸せ”について考える
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東日本大震災から3年が経った。再建に向け確実に歩みは進められている。三陸鉄道は全線開通が間近いと聞く。しかし、今なお避難生活をしている人たちが27万人もいるという現実がある。真に心が満たされ平穏になる日が、一日も早く来ることを願わずにはいられない。3・11が来ると思いだすシーンがいくつかある。あの忌まわしい津波のシーンを忘れてはいけないが、印象深かったのはボランティアの女性が、避難所の被災者の女性に、化粧をしてあげているシーンである。化粧をしたあと被災者の女性は、こぼれるような笑顔を報道カメラに向けた。それは閉ざされていた心が、解放された瞬間だった。おそらくボランティアの人も、この笑顔を見て幸せな気持ちになったに違いない。

もう一つ思い出すシーンがある。それはやっと救援物資が届いたころのことである。避難所の女性が「ゴミが出たんですよ!」と感動をもって話した。避難所の人たちの状況が伝わってくるインパクトのある一言だった。「ゴミ」を、そういう角度から捉えるような経験をした人は、私を含めそうはいないだろう。幸せには、精神的な面が大きいとはいえ、生活のベースとなる最低限の物質は必要である。しかし周りを見渡すに、モノに対する有難味というのは、どこか薄らいでいる。バレンタインデーには、近所の小さなスーパーでさえ、チョコレートが山のように積まれ、義理チョコなるものが飛び交う。その一ヶ月後には「倍返しだ」と言わんばかりに、お返しの菓子が配られる。節分には、大きな太巻きを、黙って一気に食べてしまわないといけないという、難行苦行のようなことが行われている。

日本は、無人販売所が成立する国である。治安も、物質的にもそんなに悪くはない。ところが、国連が2013年に発表した「世界の国民幸福度」では、43位という低さである。この低さはどうしたことか。どうも働く人たちの精神的ストレスが大きいのも一因のようだ。少子化の中、過保護に育ち、ある日突然世間の荒波に投げ込まれる。そんなことも関係していないだろうか。一方、ユニセフが発表している「子供の幸福度」という指標もある。これでは総合ランキングは31カ国中6位である。「教育」と「日常生活のリスク」が堂々の1位で全体を引き上げている。しかし喜んではいけない。内容を見ると、「子供の相対的貧困率」は22位、「子供の貧困ギャップ」は26位と低い。「低出生体重児出生率」にいたっては最下位である。

ブータンには、精神的豊かさを示す「国民総幸福量」という尺度がある。幸福は、その人が設定する、心の中のハードルの高さによると言える。先に述べたように、モノは慣れると、感じなくなる。もちろん最低限、生活のベースになる物質は必要である。しかし、それが一定水準を超えると、幸福度は変わらなくなるという。最近の宝くじのCMで、酔っぱらったサラリーマン風の人が「人生はお金じゃないんだよ。 幸せはお金じゃ買えないんだよねって事をね。僕はお金持ちになって言ってやりたいんだ」。このCMはすばらしい。見たところ、あのサラリーマン風の人は、物心両面からそこそこ幸せそうである。「幸せも中くらいなりおらが春」。あれこそ日本における標準的な幸せではないかとさえ思えるのである。



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多々良川の博多臨港線(福岡市東区)
2014/03/07に放映された「タモリ倶楽部」で、博多出身のADが東京−博多間を普通列車で20時間かけて帰省するという企画があった。このADに課せられたミッションは、沿線の見どころを撮影するというものだった。その最後、博多駅に到着直前に撮影したのが「多々良川橋梁」だった。ここはいくつもの路線が並行して走っている有名な撮影スポットである。
右の写真は、西鉄貝塚線の車窓から撮ったもので、左側に「博多臨港線」(貨物)が見える。
この博多臨港線は多々良川を渡ったところで、国道3号線と交差する。この3号線に架かっているのが「多々良架道橋」である。下二枚は、たまたま通りがかったとき、走っていたので撮影出来た。(というよりここを通る時はいつも、3秒で撮影できる態勢で通っている)


2014/03/08の「笑っていいとも」のテレフォンゲストは所ジョージさんだった。このとき話題になったのが、アメリカのヴィンテージもののマイクだった。それは名器と言われたRCAのマイクで通称、リボンマイクと言うらしい。このRCAに関する話で、今では著作権の問題で、RCAのトレードマークの犬・ニッパー君のおもちゃすら輸入ができないという。蓄音器に耳を傾けるあの犬である。そこで所さんは、アメリカの友人に買ってもらって、それを貰ったという形で送ってもらったという。
そのニッパー君なら我が家にもある。かなり昔からあって、引っ越しの際、一度捨てようとしたことがある。ところがゴミ箱に入ったニッパー君が、何とも悲しそうに見えたのである。その寂しそうな姿に、あわてて「すまん、すまん、許してくれ」と言いながら拾い上げた。それ以来ニッパー君は、我が家の玄関の特等席でずっとお客様をお迎えしている。