食材の偽装表示 随筆のページへ

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File No.131116

「虚偽表示 底なし」。これは先日の新聞の見出しである。一流ホテル、一流百貨店をはじめ相次いで食材の虚偽表示が発覚。その数、数百件にも及ぶという惨状である。おそらくこれは“氷山の一角”だろう。私は10年ほど前に、当時発覚した食品偽装事件で次のようなことを書いた。今、読み直してみても、全くその構図は変わっていない。
ある一つの事柄を核にして、一つの小さな社会が形成される。その社会には当然サラリーマン根性が存在する。正しい倫理観はもっているが、「効率向上」とか「営業成績向上」といった大儀名分で打ち消し、現場だけの常識が出来上がる。毎日々々機械的に処理する事が いつしか心理的な抵抗も消してしまう。上部組織は、当然分かることであるが、あえて指摘せず暗黙の了解となる。この事実を正しい倫理観をもって見ている人も、具体的行動は起こさない。なぜなら、サラリーマンであるから「火中の栗を拾う」ことや「猫の首に鈴をつける」などもっての他だからである。(2002・06・02)

上にならって今回の事件を考えてみよう。最初は一流ホテルのレストランにふさわしい、高級な食材を使った料理を提供していた。ところが時々、思うように食材が入らない時があった。そこで手に入る普通の食材で間に合わせたが、特にお客様からの苦情などは出なかった。そんなことが刷り込まれていったところに、企業としての利益追求というノルマが追い打ちをかける。いつしか抵抗感もなくなり、毎日のルーチンワークに埋没してしまう。上層部の見て見ぬふりは暗黙の了解となって、堂々とまかり通ることになる。倫理観どころか、コスト削減で会社に貢献しているという(誤った)誇りさえあったかもしれない。それが更に偽装メニューを拡大させていった原因だろう。10年余り前、あれほど大問題となって騒がれた事件も、"対岸の火事"を単に眺めただけで、その教訓は生かされていなかった。しかもあくまでも「誤表示」だと強弁するに至っては、何をか言わんやである。

規制改革会議がこのほど「健康食品の表示」について答申を出した。それは「現在の分かりにくい表示を見直せば、健康食品は大きく伸びる市場」というものである。しかし「健康食品」とは何かである。テレビでは、「健康のためには手放せない」とか「これを飲んでいるんで健康です」など、派手なCMが流れている。ところがよく見ると画面の端の方に「これは個人の感想です。効能・効果を保証するものではありません」などと表示されている。実に曖昧模糊としている。科学的な根拠が明確であれば、「医薬品」とか「トクホ」の認可を受けて、効果の表示が可能である。それが出来ないのが「健康食品」だということを、我々は知っておく必要がある。つまり、これらは「健康」という名前の付いた「食品」なのである。この状況で「国の評価ではない」という一文を表示さえすれば、企業の責任で効果を表示できるとなったらどうなるか。誇大広告にお墨付きを与えることになりはしないか。食材を偽装した企業が、公表するなら"今でしょ"とばかりに続々と数百件である。結果は火を見るより明らかと思うがどうだろう。

私は一流ホテルで食事をしたこともないし、一流百貨店の高額な「おせち」も買ったことがない。しかし、スーパーの食材の表示が偽装されていたらどうにもならない。菅官房長官は、食品表示の偽装問題に関してこう述べている。「この問題は、食品に対する消費者の信頼を根底から揺るがすことに加えて、評価が高い日本ブランドの信頼性を否定しかねない」。2020年の東京オリンピックは「お・も・て・な・し」と言って招致に成功した。日本の伝統的な食文化が、ユネスコの無形文化遺産に登録される見通しである。世界が日本を注目している。日本の信頼の根底にあるのは、見えないところまでも気遣う誠実さにある。今回の偽装事件は、日本が長い時をかけて積み上げてきた信頼を一気に崩壊させてしまうものである。「食」に携わる者としての「プライド」はないのか。「食品衛生法」や「JAS法」など法体系の整備も必要だろうが、今回の事件はそれ以前の問題である。


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