映画「ルノワール」を観て

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これは印象派の画家・ルノワールの最晩年の物語である。カネも名声も手に入れ、南仏の広大な土地に建つ邸宅で、多くの使用人に囲まれ、絵を描くには何不自由ないはずのルノワール。ところが彼を取り巻く環境はあまりにも厳しかった。そんな中で彼自身が最高傑作とした「浴女たち」が如何にして生み出されたのか。ルノワールのひ孫ジャック・ルノワールの原作をもとに映画化された。印象派の巨匠を描くに相応しく、スクリーンには光と色彩が溢れる。ルノワールは自分の庭の中に、18世紀のフランスの画家が描いた地上の楽園を再現したという。女性監督ジル・ブルドスはこう話す。「広さよりも、素材の方が重要でした。黄土色の土地や深い緑、めくるめくミストラルや日常のブルーなどです」。これを台湾出身のリー・ピンビンが、美しい映像に仕上げた。
1915年、南仏コートダジュール。70代半ばになったルノワールは、病魔に侵され車椅子の生活をしている。絵筆を持つ手もままならず、手に絵筆を縛りつけて描いている。そんな彼に追い打ちをかけるかのように、愛する妻も亡くなった。そんな中、「モデルの仕事があると聞いて」と、ルノワールの前に突然現れた美しい少女アンドレ。「死んだ家内に頼まれたというのは本当かね」。画家の目を通して観た少女は魅力にあふれていた。「若い娘のビロードのような肌目。光を吸い込むような肌だ」。ルノワールは、彼女に躍動する生命力を感じた。「君なら一緒にやれそうだ」。再び創作意欲を掻き立てられたルノワールだが、そこに戦争で負傷した二男ジャンが帰ってくる。ここからルノワールとジャンとアンドレの微妙な関係が展開していく。
石橋美術館で開催されている「作家のことば展」に、ルノワールの「水浴の女」が展示されている。この作品の横には、日本の洋画壇を代表する梅原龍三郎と山下新太郎が、作品を購入する時のエピソードが書かれている。どうやらルノワールと面識のある梅原が、ルノワールに魅せられていた山下を紹介したようである。ところが山下が気に入った絵は、モデルになった令嬢に贈らねばならなかった。山下『そうであれば、あれかこれか選んだ末に漸く<水浴の女>5号を頂戴することにした。翁も余のはばからぬ態度に少し機嫌を損じたようであった』。一方梅原も『・・・気短なルノワールは、じれてもう少し小さな裸婦一片を出して・・・』と言っている。ルノワールに、より人間味を感じさせるエピソードである。
「十分描いたが、もっとうまくなれる。力が尽きるまで続けるぞ」と言ったルノワールは、亡くるその日も描いていたという。財と名誉を手にし、死の瞬間まで描き続けた人生は、芸術家として見れば最高だったと言えるかもしれない。だが印象派時代のルノワールは貧しかった。生きるためには一時期、世間に受け入れられる絵を描かざるをえなかった。試行錯誤の時代を経て、余計に「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」や「舟遊びの昼食」といった作風への想いは強くなったのではないだろうか。「ルノワールの絵に暗い色はいらない」と言わせ、生涯、感性のおもむくまま、明るい光と色彩で描き続けた。そして100年後の我々までも幸せにしている。

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映画「ルノワール」〜陽だまりの裸婦〜
2012年/フランス/111分

監督:ジル・ブルドス
出演:ミシェル・ブーケ 、 クリスタ・テレ 他

ミシェル・ブーケ出演

映画「ボルサリーノ」
1970(昭和45)年作品/フランス

当時、フランス映画界で人気を二分していた大スター、アラン・ドロンとジャン・ポール・ベルモントが共演した作品。この映画では、マルセイユの裏社会の黒幕リナルディ役を演じている。キャストの順番では、二大スターの次に表示されている。

2013/10/13 「まちなかアートギャラリー福岡2013」 
10/12〜10/30まで、福岡市の中心部10か所ほどで開催されている。県立美術館のある「須崎公園」も会場になっているというので、映画に行く途中で寄ってみた。公園の真ん中にある池の底は、巨大なキャンバスになっていた。そこにはいくつかのカラフルなボールが浮かべられており、腰を下ろしてゆっくり楽しんだ。そこを吹きわたる風は、やわらかな風、すこし強い風など常に変化している。それにつれ太陽の光を反射しながら、水面はいろいろな表情を見せる。水底の絵が揺れ、ボールは微妙にその構図を変えていく。このアートは見事だった。これをぜひ写真に撮りたいと、カメラを向けたのだが、夢中になって危うく映画に遅れそうになった。
映画「ルノワール」では、ルノワールが使用人たちと泉に出かけるシーンがある。水辺にシートを敷き楽しむ使用人たち。ルノワールは、それが見える場所にイーゼルを立てている。そこに一陣の風が吹く。飛ばされるピクニックの道具に慌てふためく使用人たち。それを見ていたルノワールが一言。「えもいわれぬ美しさ」。ルノワールは、この予期せぬ風のいたずらに心を動かされたのである。何だかこのシーンと公園のアートが、「水、風、光、色彩」といった構成要素で共通しているように思えた

石橋美術館 「画家のことば」展
石橋美術館(久留米市)
ルノワール「花のついた帽子の女」

『楽しくないなら描きなんかしませんよ』
(20代の頃、「まるで楽しむために描いているようだね」と師のグレールの言葉に対してルノワールは、このように答えたという)
石橋美術館(久留米市)で「作家のことば展」(9/14〜12/27)が開催されている。キャッチフレーズは「言葉を見に行く」である。映画の中でルノワールは「私はずっと子供の気持ちで描いてきた。知識などいらない」と言った。展覧会の中の作品「青い星座」には、作家の猪熊弦一郎のこんな言葉が書かれていた。「真摯なアーチストにとって、常識は敵である。未知なる自分の世界をひらくためには、常識を超えなければならない。それには勇気がいる」。感性で描いた作品にことばはいらないかもしれない。だが私は、そんな考えをもって描かれた作品であるということにまた魅かれるのである。

シャーロック・ホームズ「絹の家」では、ロンドンの美術商・カーテアーズがホームズに相談に来たことが事件の発端となる。この美術商は共同経営で、カーテアーズは印象派を好みながらも、フィンチの伝統に忠実な絵画を扱う経営方針で運営されている。ホームズに相談にきたカーテアーズがこんなことを言っている。「・・・たとえば私はフランスから入ってくる新しい絵画にとりわけ注目しています。モネやドガなど印象派と呼ばれている画家たちの作品です。つい一週間前、私はカミーユ・ピサロの海辺の風景画を買わないかと商談を持ちかけられました。うっとりするほど美しい色彩の絵です・・・」。
物語の時代設定は1890年11月ということから、ルノワールが1880年代中ごろの古典的な画風に影響を受けていた時代から、印象派の温かい色彩へ戻ってきた頃である。

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