シャーロック・ホームズ
「絹の家」
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File No.130901

少年時代、シャーロック・ホームズやアルセーヌ・ルパンを夢中になって読んだものだ。それから半世紀が過ぎ、高齢者となった今、新しいシャーロック・ホームズに出会えることになった。80年ぶり61番目のホームズ作品「絹の家」である。著者はイギリスの作家アンソニー・ホロヴィッツ。ホロヴィッツは執筆するにあたって、十カ条のルールを自分に課している。たとえば(1)度を過ぎた派手なアクションはいらない、(6)調査は徹底的に、(7)十九世紀らしい文章表現で・・・などである。そんな真摯な姿勢で執筆された作品である。コナン・ドイルの作品に関する著作権を管理している「コナン・ドイル財団」が公式に認定した初めてのシャーロック・ホームズとなった。まずは「序」に、ワトスンが物語を書くに至る経緯が書かれている。ワトスンは、シャーロック・ホームズ最後の肖像画として残すべく、ホームズが亡くなって1年後に書いている。しかし、その内容から当時の発表ははばかられたようで、厳重に封印された原稿は、百年後に開封するように指示され、コックス銀行に保管されたのだ。

凍てつく寒さに見舞われた1890年11月、ベーカー街をロンドンの美術商が訪れた。この美術商によると二週間前、アメリカの富豪に高価な絵画四点を売った。ところがこの絵画を富豪のもとへ送るのに手違いが生じる。絵画を積んだニューヨーク発ボストン行きの郵便車が、強盗に襲われ爆破されたのである。これが事件の発端となる。失意の美術商の前にひとりの女性が現れる。ところがこの女性と結婚したあと、不審な男が出没するようになる。翌朝、ホームズのもとへ美術商から電報が届いた。昨夜不審な男によって金庫が破られたというのである。ホームズは「ベーカー街別動隊」という街にたむろする少年たちを集めた不正規隊に探索をさせる。少年たちの探索によって、不審な男と思われる人物を発見するが、その男は何者かによって殺害される。男の見張り役をしていた少年ロスはこの時何かを見た。惨殺されたロスがテムズ川川岸で発見される。その手首には、新しい上質の絹のリボンが巻かれていた。これが政府中枢にまで及ぶ「ハウス・オブ・シルク」の秘密へとつながっていく。

ホームズは、いかなる場面に遭遇しようと、冷静にして沈着というイメージがある。ところがチョーリー・グレンジ男子学校で、少年のひとりがロスに関する情報をホームズに打ち明けた後のホームズはいつもと違っている。
馬車に乗り込むなりホームズは言った。「一刻の猶予も許されない。・・・・ワトスン、僕は今回だけは知性ではなく直感に従うつもりだ。この胸騒ぎの正体はいったい何だろう?・・・ああ、祈るような気持ちだよ」
あるいは、ハウス・オブ・シルクへ踏み込む直前のホームズの表情がこう書かれている。
・・・ふとホームズの様子をうかがうと、彼の顔には私がそれまで見たこともない感情が宿っていた。・・・いよいよ報復の時がやって来たのだという気魄(きはく)が伝わってきた。・・・目が合った瞬間、死の天使さえもこれほど恐ろしい形相はないだろうと思った。
こんなところにホロヴィッツ色が出ているのではないだろうか。

とは言え、やはりホームズの醍醐味は、胸のすくような推理力である。「ワトスン、君は見てはいるが観察していない」。ワトスンは言う。「ホームズは、一滴の水を見れば、推理によって大西洋の存在を導き出せる男だ」。たとえばブリッジ・レーンの質屋で、ロスのことを聞き出そうとした時である。もちろん質屋のジョンスンとは初対面である。
「わたしのことをよく知っているなんて、そんなことあるわけないじゃないですか、ホームズさん」
「そうかな?では答え合わせといこう。あなたは裕福な家庭に生まれ育ち、立派な教育を受けた。真剣に志せばピアニストとして成功したかもしれない。まっとうな人生から転落したのは悪習にのめり込んだせいだ。たぶん賭け事、サイコロ賭博だろうな。今年初め、盗品を買い取った罪で刑務所に入り、看守たちの不興を買った。短くとも三か月の刑期を務めたようだな。九月の終わりか、十月の初めに釈放され、以来、商売は繁盛している」
これこそホームズの真骨頂である。物語全体についてもコナン・ドイルを彷彿とさせる。100年後の今、我々は「ホームズの事件簿の完成」に立ち会ったのだ。


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コナン・ドイル財団認定の新しい長編


シャーロック・ホームズ

  「 絹 の 家 」

原題:The House of Silk
初版:2013年4月30日
著者:アンソニー・ホロヴィッツ
訳者:駒月雅子
発行:角川書店