ヤンキース松井選手・引退式
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1日契約(ワンデー・コントラクト)というのは、球団の功労者が移籍などにより、そのチームで現役生活を終えられなかった場合、古巣が用意する花道の一つだという。この1日契約で、ヤンキース松井選手が帰ってきた。大リーグで日本人選手が、引退セレモニーを行うというのは異例である。3年経ってなお、松井氏がチームに愛され、ヤンキースファンに愛され続けているという証でもある。松井選手が球場に姿を現すと、スタンドのファンは総立ちになり、ものすごい歓声があがった。松井氏は「歓声が聞こえてきた瞬間から涙が出そうだった。ヤンキースの一員として、ピンストライプを着て、ヤンキースタジアムで終えられる。これ以上幸せなことはない。本当に幸せな野球人生だった」と話した。
この日の試合は、ヤンキースにとって、今季55試合目にあたった。松井選手の背番号55にちなんだものである。ヤンキースの選手として野球人生を終わる日の試合が、55試合目という何とも粋な計らいである。さらに、始球式ではバッターが立つのが普通であるが、この日は松井選手だけに注目してもらうために、バッターを立てなかった。にくいほどの球団の心づかいである。ジータ選手は、松井氏にとって「最も尊敬できる選手」であり、また親友である。セレモニーではジータ選手から、背番号55の額入りユニホームが贈られた。「今日はプレーするんだろ」とジョークが飛んだという。そのジータ選手は、故障者リストから復帰したばかりだったが、セレモニーの後に行われた試合で、豪快な一発を松井選手へプレゼント、ヤンキースが勝利した。
09年11月、ヤンキースVSフィリーズのワールドシリーズ。ヤンキース3勝2敗で9年ぶりの優勝に大手をかけた第6戦。この重要な試合で松井選手は、優勝を決める大活躍をした。2回、四球のA・ロドリゲスを一塁に置いて、フルカウントから先制2ラン。3回には2アウト満塁から、センター前に2点タイムリーで中押し。5回、1アウト、ランナー一、二塁でライト、センター間を真っ二つの2点タイムリーでダメ押し。三打席連続の2点タイムリーで、ヤンキース7得点のうち6打点を叩き出した。ヤンキースファンはMVPを確信し、松井選手が打席に入ると「MVP」「MVP」の大合唱となった。メジャーに挑戦した日本人として、初めてMVPに輝いた快挙は、日米で記憶と記録に残る選手となった。
松井氏は会見で「野球というスポーツからすばらしい経験ができましたから、その経験を少しでも次世代の人たちに伝えていけたらいいなと思っています」と語った。さてどんな未来が待ち受けるのだろうか。私としては少なくとも、一球団の監督や、コーチなどになってほしくない。地元の石川では、松井氏の母校、星稜高校が石川県代表として6年ぶりの甲子園出場を決めたようだ。8月には日本に帰国して、高校野球を観戦する予定だという。松井氏の「・・・経験を少しでも次世代の人たちに伝えていけたらいい・・・」から、高校球児の指導が適切ではないだろうか。野球を通して人格を形成し、巣立っていく高校球児たちは、社会を形成していく上で大きな役割を担っている。松井氏の人格に学ぶべきことは多いはずだ。


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