海上自衛隊・第71航空隊

US-2(海上自衛隊・写真ギャラリーより)
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海上自衛隊・第71航空隊は、第31航空群(岩国)に所属している部隊で、岩国と厚木に分散して救難任務に就いている。先日、太平洋横断途上で遭難した辛坊治郎さんたちの救助にあたったのが、この厚木に待機していた第71航空隊である。昨日のフジテレビの朝の番組「とくダネ」で、この救出に至る経緯を放映していた。この番組制作にあたって、岸本哲也リポーターが実際に救難艇に乗り込み、危険な荒波を体験し、救難隊員の取組み姿勢や身体能力を目の当たりにしたことで、迫力のある番組になっていた。この番組を観て、辛坊さんが無事帰還した時「この国の国民でよかったと本当にそう思いました」と、涙ながらに話した気持ちがやっと分かった。辛坊さんたちは、本当に"死の淵"に立たされ、覚悟を決めながらも、一縷(いちる)の望みをもって救助を待ったのである。それに応えたのが、最後の最後まで救助の可能性に賭けた救難隊員たちの執念とも言うべき高い責任感と、鍛え上げられた身体能力だった。

遭難現場の海は雲が垂れこめ、雨のため見通しも悪かった。4mの高波が押し寄せ荒れ狂う海で必死に着水ポイントを探すUS−2。やっと見つけた着水ポイントは、遭難現場の西側40kmの地点だった。これでは着水しても救助が出来ない。US−2は残燃料の状況を見ながら、ぎりぎりまで現場海域で着水できる海面を探したが、帰還を決意せざるをえなかった。現場海域の状況から救出は困難と予想されたが、救難隊では2機目のUS−2を発進させていた。「どこかに着水できる海面が存在する可能性はある。最後まであきらめずに頑張ろう」。遭難現場では西風が吹いていた。あるいは着水ポイントが現場付近まで近付いているかもしれない。だが着水できたとしても、日没ぎりぎりである。付近が闇に包まれれば、救助は困難になる。時間の余裕もない。しかも現場の天候はさらに悪化していた。しかし、隊員たちはわずかな可能性に望みに賭けたのである。そしてその執念に天は味方し、奇跡が起きた。着水ポイントが現場からわずか800mのところまで近付いていたのである。4mの波に翻弄されながら救助用のボートが突き進む。日没からすでに13分。あたりが闇に包まれようとしていたまさにその時、「大丈夫ですか?」という呼びかけが辛坊さんたちに聞こえた。

先日終了したが「空飛ぶ広報室」という航空自衛隊全面協力によるテレビドラマが放映されていた。テレビのディレクター稲葉リカ(新垣結衣)と、ブルーインパルスのパイロットを目指していたが事故で夢を果たせなかった空井2尉(綾野剛)を中心に、自衛隊の広報室の活動が描かれていた。このドラマの第7話の舞台となったのが、百里基地の航空救難隊だった。航空自衛隊のプロモーションビデオを制作することになり、航空救難団の"メディック"と呼ばれる救難員をモデルにすることになる。この回では山岳救助に、捜索機U125Aと救難ヘリUH60Jが登場する。リカがメディックに質問する。「大切な家族を残して、自分が死んでしまうかもしれない。その可能性は考えませんか?」。隊員はこう答える。「死なないために厳しい訓練を重ねています。どうやったら要救助者を助けられるか。どうやったら生き抜けるか。それだけを考えます」。掲げられていた標語は「That Others May Live 他を生かすために」だった。

「自衛隊手帳」という小形の日記がある。これは朝雲新聞社と能率手帳の共同企画でつくったもので、毎年発売されている。ダイアリー部分は、根強い人気を誇る能率手帳のフォームになっている。資料編は陸海空自衛隊に関する組織編成や主要装備品の性能諸元、防衛関連の略語表など充実している。この手帳の最初に「服務の宣誓」や「自衛官の心がまえ」が載っている。「・・・強い責任感をもって専心職務の遂行にあたり、事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め、もって国民の負託にこたえることを誓います」。自衛隊員すべてが、隊員になったときこの宣誓に署名する。さらに「心がまえ」には「勇気と忍耐をもって、責任の命ずるところ、身をていして任務を遂行する」とある。第71航空隊には「訓練に泣き、実動で笑おう!」という標語が掲げられている。この崇高な精神のもと、24時間我々を守ってくれている自衛隊員に敬意を表したい。


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2013年度版・自衛隊手帳