第44回日展・福岡展 随筆のページへ

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File No.130401

春爛漫。今年は桜が例年より早く開花した。舞鶴公園(福岡城址)は、咲き誇る桜を楽しむ人たちで賑わっている。そんな季節に呼応するかのように、福岡は展覧会が目白押しである。今、福岡市美術館では「第44回日展」が開催されている。「日展」は、日本画、洋画、彫刻、工芸美術、書の5部門で、500点近い作品が展示される大きな展覧会である。毎年、通ううちに鑑賞するスタイルも決まってきた。入場に先立って「日展アートガイド〜作者のことば」を買って、これを見ながらゆっくり回る。私の本棚にはすでに7冊が並んでいる。作家が何を想い、どう表現しようとしたか。そして鑑賞する側が、それをどう解釈し受け止めるか。それぞれの絵の前で、驚き、楽しみ、安らぎ、緊張し、感動を繰り返しながら廻っていく。
今回も気に入った作品の絵葉書を買ってきた。そのひとつは、平松譲氏の「早春の山麓」である。今回、平松氏が99歳であることを知った。この年齢にして、このダイナミックさ、力強さに感動する。もう一つが朝倉隆文氏の「消失スル境界線」である。この作品の前に立つと、不思議な感覚に陥る。朝倉氏は「自分とあらゆる他者を区別するモノ、物理的境界のみならず、意識の境界は、どこまで許容するか?」と書いている。すべてのものが溶け出し、形あるものがのみ込まれていく魔訶不思議な世界である。そもそも、地球上の生物を形づくる素材は、宇宙で離合集散を繰り返してきた物質である。いづれ地球は太陽にのみ込まれ、我々は意識すらも宇宙を漂うだろう。それは境界も許容も無い混沌とした異次元の世界なのかもしれない。

朝倉隆文氏「消失スル境界線」
オークションでは有名な作品だと、数億円、数十億円などの価格で売れていく。日展など多くの展覧会で、巨匠や新進気鋭の作家の作品を観ていると、芸術作品の価値とは一体何なんだろうと思う。「絵は売れた方がいい。だが売れる絵を描いてはいけない」と聞く。それは作家の信念に基づく、生き方から生み出された作品が求められている、ということだろう。モディリアーニの破たんした生き方や、ゴッホの狂気は、後々語り継がれるほどに、みんなが衝撃を受け、それが作品の評価を高めたという一面を否定はしない。しかし、人の価値観は様々である。生命感あふれる作品に出会うと、作品の価値は我々の等身大であるべきと強く思う。
芸術作品は、作家の心の風景である。先月、「二紀展」のギャラリートークで、ある作家さんがこんな風なことを言っていた。「最初に決めたテーマで描き切る。途中で揺らぐとダメになる。描き上がってテーマを決めるなどあってはならない」。作家さんが苦悩するのは、このテーマを考える時間だという。そんなことを踏まえて、私の楽しみのひとつが、ひとりの作家さんの作品を時系列に楽しむことである。あの作家さんは、今年はどんな作品で魅せてくれるのだろうか。そんな想いで美術館へ足を運ぶ。「日展」の後には「二科展」「独立展」「示現会展」と続く。来月には「福岡ミュージアムウィーク」が開催される。今、福岡は「芸術の春」である。
平松譲氏
「早春の山麓」



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二紀展(2/26〜3/3・実施済み)

二科展(4/16〜4/21)

福岡ミュージアムウィーク(5/18〜5/26)