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File No.130207

九州国立博物館の文化交流展示室で「雪と火炎土器」という展示があっている。展示されているのは、新潟県津南町の道尻手(どうじって)遺跡で出土した火焔型土器や雪国の民族資料である。展示にいたる経緯は、発掘された時の復元や、中越地震で被災した土器の修復などで九博の協力があったことから、今回の展示となったという。信濃川流域で多く出土している火焔型土器が、いかにして生まれたのか、その変遷や風土から感じ取れるような展示になっている。ところで「火炎土器」と「火焔型土器」には明確な違いがある。説明によれば「火炎土器」は、最初に馬高遺跡から発見されたものを指し、「火焔型土器」は、その後発見された火炎型の土器のことを言う。
火炎土器の魅力は、その強烈なデザインにある。普通に考えると、祭祀など特別な時に使ったのではと思いがちだが、説明によるとそうでもなさそうだ。普通の深鉢形の土器などと一緒に出土するという。火炎土器も形としては日常煮炊きに使う深鉢形に飾りを付けたものである。王冠型のもあるから、祭祀に使った可能性も高いのだろうが、普通に使っていた痕跡もあるようだ。縄文中期といえば、気候が温暖になり、定住し集落が形成されるころである。我々の祖先が住む竪穴式住居の中に、この見事な火焔型土器が日常的にあり、そのデザインを楽しんでいたことを想像すると何だかうれしくなる。
火炎土器の芸術性を見出したのは、芸術家の岡本太郎である。彼の鋭い感性によって、芸術性が見出され、その後アートとして鑑賞されるようになった。それまでは、単に他の縄文土器と同じレベルで展示されていたのである。彼の鋭い感性によって見出されたのは、「美」と同時に、縄文の人たちの優れた「空間把握能力」である。それ以降、岡本太郎はその感覚を立体作品に取り入れていく。以前、岡本太郎展に行ったときキャプションにはこう書かれていた。『作品の周りを動いて観ることによって、視点が移動し、空間が変化し、新しい驚きに出会うことができる』。5000年前、純粋な感性で制作されたデザインを、縄文の人たちが日常的に楽しんでいたとすれば、縄文人の感覚の方が、我々より優れていたと言えるかもしれない。
今回の展示を見に行こうと思ったきっかけは、「ハンズオン体験、ホンモノの土器に触れてみよう」、「5000年前に縄文人が作った土器の重さや、肌ざわり、造形をぜひその手で感じてください」と書かれていたからである。ということで、これが実施される日曜日の午後に出かけた。発掘された貴重な資料を手に取り、5000年の時を味わうことができた。更にX線CT解析と3次元計測によって、実物と全く同じものが作られ展示してあった。それこそ、視点を変え、じっくり間近で観ることによって新しい驚きに出会えたのである。これは 「野外ミュージアム」の実施に先駆けて行われたもので、今回が初公開だという。博物館の運営も曲がり角にきている。これまでの画一的な展示から脱皮した今回のような体験型の展示は新鮮であった。
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九州国立博物館
「雪と火炎土器」

平成25年1月25日〜3月17日

小林達雄 『縄文人たちは、これに託した世界観から生み出された物語を表現しているのです』

上野原遺跡(鹿児島・国分市)

9500年前の縄文遺跡のイメージ図
15年ほど前、現地を見に行った。