スーパースター・松井秀喜選手
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"スラッガー"という言葉の意味は、『野球の強打者。とくに長距離打者のこと』である。日米プロ野球界で、豪快な本塁打を打ち続けたスラッガー・松井秀喜選手が引退を表明した。長嶋終身名誉監督をして『現代で最高のホームランバッターだった』と言わしめた強打者である。私が松井選手を知ったのは、いまや伝説となった"甲子園での5打席連続敬遠"だった。ドライブの途中、カーラジオから流れる実況中継に衝撃を受けた。その後の松井選手のプロ野球人生は、あたかも「夢」を自らの手で手繰り寄せるように歩いてきている。長嶋監督がくじを引当て、巨人不動の4番打者として活躍し、FAで憧れの名門ヤンキースに入団、ワールドシリーズでは日本人初のMVPを獲得し頂点を極めた。
松井選手の放ったホームランは、日米通算507本である。日本での10年間で332本を打っているが、もし日本で20年間打ち続けていたら、600本はゆうに超えていたと思われる。大リーグ10年間の175本、04年の1シーズン31本は、日本人大リーガーとしては、ダントツのトップである。しかし、こういった輝かしい記録も、決して一朝一夕に生み出されたものではない。それは強い精神力に基づく、血のにじむような努力の積み重ねによるものである。引退会見で記者からの「20年間で一番思い出に残っているシーンは?」という問いへの答えからもそれが伺える。「いっぱいあるが、やはり長嶋監督と2人で素振りした時間。それが僕にとって一番印象に残っている」。
私は以前、松井選手の"夢"を見たことがある。もしそれが"正夢"になったら衝撃的だろうと、今も忘れられない。夢の内容はこうだった。「優勝を決める大一番。3点ビハインドで迎えた九回裏。2アウト満塁の場面で、4番ゴジラ松井登場。いつものようにバッターボックスで、ブルッと肩をゆすって、戦闘モードに入ったゴジラ。ピッチャーが投げた渾身の1球に、ゴジラのバットが火を噴いた。豪快なスウィングに、ボールはスコアボードに向かって一直線に飛んでいく。何とそのボールは、3点リードを表示している敵のスコアボードをぶち抜いたではないか。余りの出来事に、場内はシーンと静まり返った。その中をゴジラ松井が、悠然とダイヤモンドを回っていく。」
松井選手は「本当に人に恵まれたと思います」と言うが、それは松井選手の人間性がそうさせたのである。松井選手は、常に"チームのため"がプレーの基本であった。その誠実さに輝くものがあり、周りが魅かれていったのである。ワールドシリーズでMVPに輝いた翌年、エンゼルスに移籍していたが、ヤンキースタジアムでの試合に先立ち、チャンピオンリングの授与式があった。このときヤンキースの選手たちが駆け寄り、心から喜んだ。観客もまた総立ちで、松井選手をたたえた。そんな松井選手であるから、引退を惜しむ声が、日本はもとより、野球の本場アメリカからも多く寄せられているという。
『スーパースター・松井秀喜様、あなたこそ“真のスポーツマン”です。感動の日々をありがとうございました』



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松井選手の成績
    安打 本塁打 打点 打率
日本(10年) 1390 332 889 .304
米国(10年) 1253 175 760 .282
日米通算(20年) 2643 507 1649 .293