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File No.121031
先日、東京駅の保存・復元工事が完成した。東京駅は大正3年(1914年)に、辰野金吾によって設計されたものである。工事では、戦災で焼失したところも忠実に再現し、創建当時の外観にした。しかも創建当時の作業が、ほとんど職人の手作業で行われてたということで、復元工事も当時の工法を出来る限り採用したという。それは日本における近代建築の楚を築き上げた先輩たちへの敬意の表れであろうか。その東京駅を設計した辰野金吾は、佐賀県唐津市の出身である。糸島市からだとJR筑肥線で約40分(30km)で行ける。先日、唐津市の重要文化財「旧唐津銀行本店」を観てきた。ここは辰野金吾監修のもと、愛弟子・田中実が設計したもので、典型的な辰野金吾の建築様式によって造られている。外観はもとより、中も銀行業務がなされていた当時そのままのカウンターや各部屋が残されており、時代の雰囲気を味わうことができる。
旧唐津銀行本店(佐賀県唐津市)
北九州市戸畑区に、現在「西日本工業倶楽部」として運営されている「旧松本家住宅」がある。ここも辰野金吾設計によるもので、国の重要文化財である。説明書きには、当時の産業界の重鎮・松本健次郎の旧宅で、明治後期の典型的な貴紳住宅であると書かれていた。現在は結婚式場としても利用できるようで、行った日も式があっていた。建築依頼主の松本健次郎は、この戸畑に日本の未来を担う人材を育てるため「工業技術専門学校」の設立を計画していた。「辰野金吾に依頼せし、明治専門学校建築設計に関しては、同氏義侠的に無報酬にて其の労を執るの意思と聞く」。松本の心に感銘をうけた辰野は、無報酬でもいいと言ったという。辰野金吾は、唐津藩の下級武士の家に生まれ、カネが無く、建築を学ぶにあたって、やっとの思いで「工学寮」の試験に合格し、官費で学んだ経歴を持っている。そんなのことが、無報酬でも取り組むという心意気に繋がったのではないだろうか。
旧松本家住宅(現・西日本工業倶楽部)(北九州市戸畑区)
福岡市中央区にある「旧日本生命九州支社」も辰野金吾の設計によるものである。ここも昭和44年に国の重要文化財に指定されている。赤レンガに白い花崗岩を組み合わたデザインは、東京駅などにも使われた辰野の特徴である。福岡市によって「赤煉瓦文化館」として改修されたが、外観、室内とも当時のデザインが残されている。工学寮におけるジョサイア・コンドルの初講義では「アーキテクチュアを設計するためには、材料や力学など工学的知識が必要です。しかし、工学技術だけでは十分ではありません。技術の知識とともに芸術の素養を高めなければなりません」と教えられた。明治時代は、急激に西洋文化を取り入れ、西洋に追い付こうとした時代である。国家の威信をかけた建物が次々と造られていった。辰野金吾は、イギリス留学で学び、帰国後、生涯にわたって多くの建築物を残した。それは機能だけではなく「辰野式フリークラシック様式」と呼ばれるデザインで、ひとつのアートとしても、100年後の我々の目を楽しませている。


旧日本生命九州支店(現・赤煉瓦文化館) (福岡市中央区)
「東京駅の建築家・辰野金吾伝」(東秀紀著・講談社発行)に、辰野金吾の建築に対する最も基本的な思想が書かれている。「思えば、帰国以来、私がずっと求めてきたのは、その『国民的様式』だったと言ってよいでしょう。建築には伝統や歴史も大事です。大切にすべき日本文化とは、山車(だし)など人の目を驚かせる意匠だけではない。建築の底にひそむ日本人の精神こそ大事です。今われわれは近代化に向けて日々邁進していますが、こうした高揚と日本文化の精神をどう結びつけるかに、私はこれからの『国民的様式』のありかたが示されているような気がしてなりません」。明治時代に近代建築を必死で学び、西洋文化と日本文化を融合させた辰野金吾らの今に与える功績は偉大である。建築家だけではないが、その時代その時代の在り方に左右されながらも彼らは、自己の建築に対する思想をしっかり反映させ歴史をつくってきた。日本の建築史研究の第一人者であり、建築家の藤森照信氏が放つ強烈な個性も、そういう多くの人たちによって受け継がれ確立されてきたものが、意識する、しない、に関わらずベースになっているはずである。

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「東京駅の建築家・辰野金吾伝」
(東秀紀著・講談社発行)

藤森照信氏のサイン
(旧唐津銀行に展示)

辰野金吾生誕地跡
(唐津市坊主町)

旧唐津銀行の中にある説明によれば「外壁には、当時の建築物を代表する辰野式の外観を色濃く残しています」とある。その説明の中に「歯飾付き三角破風」というのがあった。「尖塔」など他の飾りは大体は分かったが、これが分からない。帰って調べてみると、どうも入口の上についていたこのことらしい。

2013/04/19 武雄温泉楼門に四つの干支のレリーフ
佐賀県武雄市の国指定重要文化財「武雄温泉楼門」は、辰野金吾によるものである。この天井にある四つ干支のレリーフが、東京駅のドーム天井の八つの干支を補完するものではないかということがわかった。武雄温泉楼門にある「子」「卯」「午」「酉」は、東京駅のレリーフにはない。東京駅が完成したのが1914年、楼門は1915年というから、辰野の構想にあったことは十分考えられる。