「幽霊・妖怪画大全集」展
(福岡市博物館)
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File No.120717

今、福岡市博物館で特別企画展「幽霊・妖怪画大全集」が開催されている。「この夏、博物館がお化け屋敷になる」というキャッチコピー通り、恐ろしげな幽霊画が並んでいるが、一方でユーモアのある妖怪画などもあり楽しめる。驚くのは円山応挙、伊藤若冲などを含むこれら貴重な絵画160点全部が福岡市博物館所蔵ということである。平成7年に福岡市博物館が「観方コレクション」一万数千点を一括購入した。「観方コレクション」は、日本画家だった吉川観方(よしかわかんぽう)が、日本の風俗史を研究する中で魅せられた作品を、生涯かけて収集したものである。たまたまその中に200点ほど幽霊画があったという。幽霊画は、じっくり鑑賞すれば、日本人の心を映す奥の深い日本画であり、妖怪画は現代のアニメにも繋がる豊かな発想を感じさせる。
幽霊画といえば、丸山応挙である。今回の展覧会を代表する伝・丸山応挙の美人幽霊画であるが、キャプションを見ると"応挙から世代の下った丸山派の画家が描いたものであろう"となっている。はっきり丸山応挙の作品と断定できる作品はないようだが、その中でも青森県弘前市にある久渡寺所蔵の美人幽霊が一番可能性が高いという。その久渡寺の美人幽霊画を応挙が描いたとして、では応挙は何を参考にして描いたのか。中山喜一朗氏(福岡市美術館学芸課長)は、「百怪図巻」(1737年)に描かれている「ゆき女」を、その可能性として挙げる。その根拠として、○若くてきれいな娘○みだれ髪、俯き加減○全体の姿勢○死に装束○左手が袖の中、などである。応挙の美人幽霊に非常に近く、「百怪図巻」を手本にできる可能性は高いという。
(左)「百怪図巻」のゆき女
(右)久渡寺の美人幽霊

「百怪図巻<火車>」(一部)
展示作品の中に「九相図(くそうず)」というのがある。キャプションには「打ち捨てられた死体が、次第に腐乱し白骨化していく様を描き、無常感を表現」とある。以前、私は「魂は個体から離脱して生き続けるわけだが、その時点で個体はもはや人間としての意味を持たない。・・・中途半端に"遺骨"などという個体の一部が残るなど、私にとっては何の意味もない」と書いた。この絵を観ると強くそう思う。人間(に限ったことではないが)は、種の保存のため「生きる義務」を負って生まれてくる。その一方で「死を経験する権利」を持っている。せっかく持っている権利は、最大限有効に行使したい。私が毎日2時間もかけて、脳トレや運動をしているのは、そのための準備に他ならない。この世を去るにあたっては「しっかり死にたい」ものである。
"恐怖心"は、動物が生き延びるための武器として持っている本能である。身に危険が迫っているかどうかを、全細胞で察知する防御システムと言える。日本人は、豊かな自然に育まれ繊細な感受性を身につけてきた。その感性と恐怖心と芸術性の集大成として、日本独特の幽霊画というジャンルが生まれたのではないだろうか。幽霊画というジャンルをつくったのは、丸山応挙から始まる丸山派である。そして今、福岡市博物館は、展覧会において「幽霊・妖怪」という特殊な分野を切り拓いた。聞けば十数年前、小さな展示をしたことがきっかけで、「別冊・太陽」が特集を組み、脚光を浴びたのが始まりという。今回の展覧会で、見事な作品の数々を観るに、日本人の感性の豊かさと、福岡市博物館の先見の明を感じずにはいられない。
久渡寺の幽霊(一部)



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落語:応挙の幽霊 (編者:落語協会 発行所:角川春樹事務所)

これは噺家、六代目・蝶花楼馬楽の落語を、そのまま文章化したスタイルで書かれている。
(あらすじ)骨董屋が、市で5円で買った「応挙の美人幽霊画」の掛け軸を、お得意さんの旦那に、90円で売りつける。用足しの途中だった旦那は、明日朝、家に届けてくれと手付に10円置いていく。うまくいった骨董屋は、掛け軸を床の間に掛けて、酒と肴で前祝をする。「見れば見るほどいい女だねえ。おかげで儲かりましたよ」と、酒と刺身だけでなくお線香まであげる。そこで丑三つ時、美人幽霊が「お礼を申し上げに出てまいりました」と掛け軸を抜け出して出てくる。この掛け軸は、紛れもなく応挙が描いた本物だった。差しつ差されつ、身の上話などをするうち、この美人幽霊は掛け軸の中で、肘枕で寝てしまう。骨董屋は、夜が明けたら、旦那のところへ持っていって、残りのお金を貰わないといけない。幽霊を起こそうとするが、ここで落ちになる。「明日の丑三つ時まで寝かせてください」。