映画「ル・アーヴルの靴みがき」を観て 映画のページへ

随筆のページへ

トップページへ

File No.120508

映画の舞台となったのは、フランスの北西部ノルマンディー地方の港町である。ロンドンを目指していたアフリカからの難民がこのル・アーヴルに漂着する。その難民の中の少年が町に逃げ込んだことで、ル・アーヴルの住民たちの優しさが紡がれていく。この"ル・アーヴル"という町の名前に聞き覚えのある人もあると思う。それは印象派の巨匠・モネが若き日々を過ごした地として有名だからである。印象派という呼び方の元になったのが、モネが第一回印象派展に出品した「印象・日の出」である。霧の中の太陽の輝きを見事にとらえたこの作品の風景は、まさにル・アーヴルの港である。映画を観るのに、モネがいたこのル・アーヴルという町が、どんなたたずまいなのか、どんな人たちが、どんな風に暮らしているのか、そんなところにも興味をあった。そして映画では、この町に暮らす人々が、決して豊かではないが、平凡に幸せに助け合いながら生きている情景が、実によく描かれている。

マルセル・マルクスは、靴みがきをして生活をしている。町を行き交う人たちは、およそ靴みがきとは縁のない靴を履いている。靴屋の前で仕事をしようとすると「テロリスト」呼ばわりで、商売道具を蹴飛ばされる始末である。日々の稼ぎはわずかだが、家に帰れば愛する妻アルレッティが待っている。「今日もよく頑張ったわね」と、少ない稼ぎの中から「夕食まで一杯飲んでくれば」と、行きつけのカフェに送り出す。「あんたにはもったいない女房だよ」。そんなある日、アフリカからの不法難民が漂着する。警察が検挙に出動するが、黒人少年・イドリッサが町へ逃げ出す。食事をしようと海岸に腰を下ろしたマルセルは、偶然にもイドリッサに出会う。町のみんなが協力して、イドリッサの支援に動き出す。一方、家では妻アルレッティが体調不良で倒れ、診断の結果"不治の病"と診断され入院する。アルレッティは、マルセルを心配させたくないと、医者に"不治の病"を内緒にしてくれるよう頼む。

「また密航者らしい」。不法難民に対し、警察はサブマシンガンを携えるというものものしさである。ヨーロッパは難民問題に頭を痛めているが、アジアもまた同じである。映画では、ベトナム人のチャングが12年前フランスに来て、それでも8年前に身分証を取得したことになっている。そのベトナムは今も共産党の一党独裁で、政治・宗教の自由がない。ミャンマーでは、アウン・サン・スー・チーさん率いる国民民主連盟が選挙に圧勝し、やっと民主化の兆しがかすかに見えてきた。しかし、少数民族の武力闘争が治まらず難民問題は長期化している。タイにはミャンマーからの難民キャンプが9つもあるという。日本は人数こそ少ないものの、この難民を受け入れる永住支援プログラムを実施している。しかし、事は人権に関する問題である。日本の社会に受け入れられ、真に自立して幸福な生活が送れるようになってはじめて責任を果たせたと言える。難民問題は難しい。

裏町に住む人たちは、お世辞にも美男美女とは言い難い。しかしパン屋、八百屋、雑貨屋、カフェ、みんなが持ちつ持たれつ、肩を寄せ合うように日々を暮らしている。そんな中で起きた難民少年の起こした小さな波紋。みんなが少しずつの優しさを出しあって少年を支援をする。フランス政府は、難民を認めていない。しかし、母を慕う純真な少年を目の前にしたとき、庶民の心に、小さな小さなレジスタンスが芽生える。庶民だけではない。警察だって私人に帰れば、優しさをもったひとりの庶民である。それは、大きな流れや、体制に毛ほどの影響も与えそうもないが、一寸の虫にも五分の魂である。アリエッティとマルセルがお互いを思いやる優しさ、裏町にひっそり生きる人たちの温もりが、スクリーンからあふれ出し、最高のハッピーエンドを迎える。観終わった後の、言い知れぬ心地よさが何とも心に滲みる。




映画のページへ 随筆のページへ トップページへ



「ル・アーヴルの靴みがき」

2011年/フィンランド・フランス・ドイツ/93分

監督:アキ・カウリスマキ
出演:アンドレ・ウィルム、カティ・オウティネン

カンヌ国際映画祭・国際批評家連盟賞受賞