第96回二科展・福岡展 随筆のページへ

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File No.120425

二科展のパンフレットに二科会趣旨が掲載されている。「・・・全会員に対する制作上の自由をあくまで擁護するゆえんである。流派の如何を問わず、新しい価値の創造者は抜擢され待遇されるであろう」(抜粋)。この中の"制作上の自由を擁護"という信条が二科会らしさを表している。ギャラリートークで、作品の選出方法の話があった。135人の会員が個々の作品について、挙手による多数決で決定していく。対象作品はタイトルだけで、作家名は伏せ数千点を絞り込んでいく。実に単純にして明快である。"新しい価値の創造者は抜擢され"という趣旨がこんな所に現れているのかもしれない。説明された馬場一郎氏が、福岡展の絵画の配置をされたそうだ。相対する色彩による配置、抽象・具象による配置など、見やすく魅力のある配置に腐心したという。私たちは、いつも何気なく作品を楽しんでいるが、その"何気なく"の裏には配置の妙がありそうだ。


会場の中ほどに「作家のアトリエ訪問」というコーナーがある。制作中の作家とアトリエの写真が掲示されている。その下には作家の思いも綴られている。私は、どんな作家が、どんな想いで制作されているのか非常に興味がある。小山由寿氏は「・・・夜中に目が覚めて、ある形が閃くとき・・・そのスケッチが原動力になり、前進する、伸びる、拡がるといった様な発展的な形態を常に意識して形を練り上げていきます。・・・創り出す作品はどうでしょうか。観ていただく人に伺いたく思います」と書かれている。まさに芸術は、ヒトというフィルタを通して自由に表現された美である。その小山氏の「向こう側」という作品が展示してあった。作品は一見"目"のようでもある。その"目"が次々と奥へ(向こう側へ)繋がっていく。それは"合わせ鏡"のような無限の連鎖を想わせる。あたかも永い時間を経て繋ぎ続ける生命の象徴としての目のようでもあり、暗黒エネルギーによって無限に広がり続ける宇宙を見ている目のようでもある。


福岡市美術館に行くとき、天神から国体道路のバスを利用する。降りるのは、いつも100円区間の「警固町」である。この警固町バス停は、丁度けやき通りの入口になる。美術館までここを散歩がてら歩いていく。四季折々違った表情を見せる並木が楽しめる。今は鮮やかな緑になっている。秋の黄色のトンネルがまたいい。けやき通りにはいろいろな店も並ぶ。「五穀」というオムライスのうまい店がある。秋には"ブックオカ"というイベントもある。メインは一箱古本市だが、会わせてコンサートなども催される。けやき通りは数ある福岡市の通りの中でも、トップクラスではないかと思う。桜の季節だとまた違うコースで行く。明治通りのバスに乗り、これも100円区間の「赤坂門」で降りる。福岡城の桜をゆっくり楽しみながら歩く。大濠公園に入り、散歩する人、ジョギングする人などとすれ違いながら美術館に到着する。


絵画では、ギャラリートークをされた馬場一郎氏の「すみかの街(煙突)」の明るく淡い色彩に魅かれた。それぞれの煙突が、自由に個性を発揮しているように見えるが、街全体としてはのびのびと穏やかである。人間の社会のあるべき姿を象徴しているかのようでもある。写真部門の中に「立ち上がる波」(工藤信朋)という作品がある。作品の前で、固まってしまったかのように、しばし見入った。日本海の荒波を撮ったもののようだが、これはすごい。砕け散る波がしらが逆光に映える。自然がつくりだした造形美、自然の持つエネルギーを、一瞬の中に閉じ込めた。これはもう奇跡的な瞬間だったかもしれない。ギャラリートークでの話では、この作者は、このシーンを狙って、カメラを3台ダメにしたという。飽くなき執念の賜物と言えよう。「マミヤ賞」受賞となっていたこの写真の前では、誰もが立ち止まり、見入っていた。美術展では、多くの新鮮な感動を与えてくれるから病みつきになる。




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チケットとパンフレット

「すみかの街(煙突)」馬場一郎

ケヤキ通り(2011年秋)