古事記1300年 随筆のページへ

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File No.120224

712年に「古事記」が編纂されて、今年で1300年になる。日本最古の歴史書である「古事記」は、天皇の系譜を記した「帝紀」と、国家の起源などが書かれた「旧辞」をもとに書かれた物語である。編纂に至る時代背景は、大化の改新以降、中央集権国家が築かれていくころである。天智天皇(中大兄皇子)が亡くなった後、壬申の乱で大海人皇子(天武天皇)が勝利し、天武天皇によって皇室の地位が高められ、天皇による国家がつくられていく。天武−持統朝、飛鳥清御原(きよみはら)律令から大宝律令へと律令国家としての日本が確立する。対外的にも「日本」という国号が使われ、「天皇」という称号も定まった時代である。天皇を中心とした国家形成がなされ、日本を天皇が治めることの由来を歴史書として編纂したのが「古事記」である。


古事記と言えば、まずは「天孫降臨」である。天照大神の孫である、ににぎの命が、葦原中国を治めるために、三種の神器を携え降臨した物語である。ににぎの命は高天原を離れ、天の浮橋に立ち、筑紫の日向の高千穂のくしふる峰にお降りになった。そして「この地は韓国(からくに)に向かい、笠沙の岬まで真の道が通じていて、朝日のよく射す国、夕日のよく照る国である。ここはとても良い土地である」と言って、立派な宮殿をお構えになった。さて、ににぎの命が降臨されたのは何処か。それは文字どうり「筑紫」(福岡)である。筑紫と韓国(からくに)が向かい合う、ということであるから福岡以外にない。福岡市と糸島市の間には、日向峠というのがある。この峠の近くにある高祖山との間に「くしふる山」がある。立派な宮殿とは、三種の神器が出土した吉武高木遺跡(福岡市西区)と考えるのが自然である。この遺跡から日向峠を挟んで西側には、伊都国の女王が眠る平原遺跡がある。


先日、JR九州ホール(博多駅)で開催された「宗像・沖ノ島の世界遺産へのシンポジウム」を聴きに行った。今回は第3回だが、今だ世界遺産へ登録する確固たる内容(範囲)が決まっていないらしい。これでは先が思いやられる。さて、沖ノ島の古代祭祀であるが、これはヤマト王権の国家的祭祀である。それは、百済との国交が始まり、玄界灘における胸形一族の航海術が必要不可欠だったからである。胸形一族のヤマト王権の深いつながりは、「古事記」に胸形三女神が登場することでも分かる。「天照大神は、十拳の剣三つにうち折って、これをかみ砕きふき放つと、その息吹のさ霧に神が成りました。そのみ名は、・・・(三女神)・・・と申します」、「・・・この三柱の神は、胸形の君らがお祭りして仕える三座の大神です。・・・・」。歴史上においても、胸形君徳善の子・尼子娘(あまこのいらつめ)は、天武天皇と結婚し、高市皇子(たけちのみこ)をお産になる。高市皇子が、持統天皇の時代、高い地位にあったことでも、胸形一族との深いつながりが分かる。


「季刊・邪馬台国」(112号・梓書院)に「古代史(邪馬台国)サミットin伯耆(ほうき)」という記事が載っている。その中で、邪馬台国・山陰説をとる田中文也先生は「これまで日本の古代史のなぞが解けなかった理由の一つは、考古学的にも歴史学的にも"山陰地方"を検証の対象から外した事と結論できる」「古墳時代の前に山陰地方に"古墳時代"が存在した」と述べられている。その昔私は、荒神谷遺跡から大量の銅剣が発見されたとき、車で現場に駆け付けた。その荒神谷遺跡といい、加茂岩倉遺跡といい、確かに強大な出雲王国の存在を思わせる。宗像氏は、大国主命を祖神としている。出雲王国は、山陰地方から九州、大和に及ぶ強大な力を持っていた。それをヤマト王権に譲った記憶が、国譲り神話として古事記に記載されたのである。古事記の舞台が北部九州であることも、「神武東征」も、すべて歴史上の事実をもとにしたものである。


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2012/03/15 高祖(たかす)神社本殿・拝殿が県文化財に
福岡県教委は、県文化財保護審議会の答申に基づき、糸島市の高祖神社本殿・拝殿(有形文化財・建造物)など8件を加えることを決めた。
高祖神社は、平安時代に編纂された「日本三代実録」に記されている。創建された時期は不明だが、1662年に再建された可能性が高いという。本殿・拝殿とも丁寧な造りや当初の姿が維持されている点などが評価された。(西日本新聞より)

「日本三代実録」・・・清和天皇、陽成天皇、光孝天皇、三代30年間(858〜887)を記した歴史書。成立は901年。