昭和55年の裕次郎さん 随筆のページへ

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File No.120113

この写真は今から32年前、昭和55年(1980年)1月、私が東京で撮影したものである。東京に遊びに行った時、突然目の前に裕次郎さんが現れた。ホテルからタクシーに乗り込むまで、ほんの十数秒だった。本当にびっくりしたが、夢中でカメラを向けた。今にして思えば、自分の反応の速さを自画自賛である。昭和55年といえば、裕次郎さんが、病魔に襲われていた頃である。54年に手術、56年には生還率3%と言われた「解離性大動脈瘤」と診断された。
(写真は、当時のフィルムをスキャナーで取りこんだものです)

昭和55年1月といえば丁度、裕次郎さんが自宅を新築しようとした時である。ところがその場所が「上明神遺跡」だったため、遺跡の調査をすることになった。裕次郎さんは、その発掘調査に積極的に協力したという。こういうところにも裕次郎さんの、何事にも真摯に向き合う姿勢が見て取れる。それは今も渡哲也さん率いる石原軍団に脈々と生き続けている。(尚、タクシーは、吉永小百合さんがCMに出演した4代目クラウンと思われる)

裕次郎さんの映画を初めて観たのは、昭和33年の「風速40米」だった。当時、町にひとつあった映画館にひとりで行った。館内は立すいの余地もないほど混んでいた。何とか観える位置を確保して、最初に観た場面をなぜか今も覚えている。今のように入れ替え制ではなかったので、途中からだったが、裕次郎さんが部屋に入ってくるシーンだった。格好良かったなあ。ちょっと不良っぽさはあるが、どうしても育ちの良さがにじみ出る。スターとはこういうものだと、スクリーンを縦横無尽に暴れまわったものだ。大衆に熱狂的に受け入れられた要因は、やはり裕次郎さんの持つ、それまでにはなかった存在感だったろう。
(写真は2007年8月発売の「サライ」)

これは、昭和37年発売のレコードである。私は歌がどうにも不得意で、困ったものだが、どうしても歌わなければならない時は、たいてい「赤いハンカチ」か「くちなしの花」を歌う。「赤いハンカチ」は、昭和39年に映画化された。裕次郎さんは、警察学校を出た秀才で、拳銃もオリンピック候補になるほどの腕前という設定だった。やはり裕次郎さんらしい設定である。映画の中では、随所に裕次郎さんの「赤いハンカチ」が挿入されていた。ギター一本の伴奏で、歌のうまさをじっくり聞かせてくれた。
(右のレコードは昭和37年10月発売、45回転ドーナツ盤290円)

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昭和41年12月発売
テイチクレコード
45回転ドーナツ盤
¥330

歌詞(一部)
いつかどこかで 見知らぬ町で
想い出すのさ 昔を
いつかどこかで 見知らぬ誰か
同じ心が 触れ合う



去年10月、藤家虹二さんが亡くなられた。残念である。左の写真は「メモリーズ・オブ・ユー」や「小さな花」など9曲が収録されているソノシートである。スィングジャズが基本だが、「ホラ・スタッカート」などのクラシック曲も入っているのが藤家さんらしい。
亡くなったと言えば、先日「赤いハンカチ」でも共演された二谷英明さんも亡くなられた。「赤いハンカチ」で共演された俳優さんたちで既に亡くなられた方も多い。金子信雄さん、森川信さん、芦田伸介さんなどである。「明治は遠くなりにけり」というが、もはや「昭和も遠くになりにけり」である。