裁判員制度に思う(4)
〜裁判員制度は合憲〜
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File No.111117

昨日(11/16)、最高裁は、裁判員制度について初めて"合憲"という判断をした。我々はこの2年半、合憲か違憲か判断がなされないまま裁判員制度を受け入れてきたのである。今回の報道をみると、最初から憲法上の問題は指摘されていたようだ。今回の裁判で弁護側は、憲法で保障された「公平な裁判を受ける被告の権利」や「裁判官の独立」などの規定に違反すると主張した。憲法には裁判員制度の規定はなく、逆に地裁の裁判官は"最高裁が指名したものの名簿から内閣が任命する"と規定しているという。最高裁も違憲の可能性は認識していながら見切り発車し、世論の反応を見ていたようだ。さいわい国民はこれを受け入れ、裁判員候補者の8割が応じ、その95%が肯定的だったという。そういう私も、裁判員制度は、多少の問題はありながらも、積極的に参加するつもりでいる。しかし、ここまで推進してきたら、世論がどうであろうと最高裁は「違憲」という判断は下せなかっただろう。

多少問題はありながらもと言ったが、最近気になった裁判がいくつかある。そのひとつが裁判員裁判で有罪だった被告が、控訴審で全面無罪になった裁判である。裁判員裁判の判決が覆ったから問題なのではない。私は、元々裁判員の意見を尊重して控訴しないというのは三審制を歪めると言ってきた。そう言う意味で、控訴されること自体は正常であると思っている。しかし、今回は「被告の責任能力の判断」という難しい裁判だった。そんな難しい裁判を実質2日で、裁判員に結論を出せと迫ったのである。心神喪失か、心神耗弱か、裁判官でも悩むという精神鑑定の判断を、全く知識の無い裁判員に迫るのは如何なものか。それこそ憲法で保障された「公平な裁判を受ける被告の権利」に抵触しないか。さいわい控訴し高裁では「一審で個々の事実や事情をどう評価したかを見直し、一審が検討を加えなかった点まで吟味した」というから、判決の是非は別にしてよかったと思う。

気になるもうひとつの裁判は、大阪のパチンコ店放火殺人事件の裁判である。5人が死亡した殺人罪であるから、死刑は免れない裁判である。ところが弁護側が「絞首刑は憲法が禁じる残虐な刑罰にあたる」と主張した。憲法36条の判断を裁判員裁判で判断することになったのである。裁判員法では、憲法判断などは、裁判官の合議によると定めているという。だから、裁判長は裁判員の意見も聴きたいと、任意で意見を求めた。裁判員の意見も聴いた結果、絞首刑は憲法に違反するものではないという判決が下った。だが裁判員にとって、任意とはいえ「絞首刑の残虐性」という憲法判断は、あまりに重すぎる問題ではなかったか。報道を読んでいると、遺族から「事件とは関係ない」「別の場で議論すべきだ」と強い反発があったようだ。死刑制度は国民の大多数が支持している。私も裁判員制度がスタートするにあたって、死刑制度をはっきり支持した。しかし、誰もが絞首刑の残虐性まで意見を求められるとは思っていない。

裁判員制度は、憲法に違反しないという判決が下された。これで憲法問題に決着がついた。絞首刑が憲法に違反しないという判決も下った(法務大臣は、きちんと死刑制度と向き合って、執行しなければならない)。裁判員裁判の判決も、裁判員の意見を尊重しつつ控訴するようになった。裁判員制度に縛られず三審制度が機能している。国民の多くが裁判員制度に前向きで、実際に参加した人も、いい経験だったという意見が多い。裁判員制度は順調に、進んでいるように思われる。こういうことには非常に理解を示し、柔軟に対応するのが、日本の国民性である。ただ、プロの裁判官でも悩むような高度な判断を、わずかな時間で判断を迫るのは、市民感覚の反映という趣旨には沿っていない。実際に参加していないので、問題点がよく分からないが、改善すべきことは多いだろう。見直しを重ねながら、よりよい制度にして、本当に市民に根付いた裁判員制度を確立してほしいものだ。


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裁判員制度をめぐる最高裁判決の争点
    裁判員制度の憲法上の根拠 公正な裁判を受ける権利を侵害するか
被告側 憲法に裁判員制度の明文規定はなく、憲法上の裁判とは言えない。 裁判員裁判は憲法上の裁判ではなく、公正な裁判を受ける権利を侵害する。
検察側 憲法は、裁判官以外が下級審の裁判所に加わる制度を許容している。 選任や評議方法で適正な裁判を制度的に保障し、権利を害しない。
判 決 憲法上、国民の司法参加が禁じられていると解釈すべき理由はない。 公平で適正な裁判は、制度的に十分保障される仕組みになっている。