現代美術
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右上の写真は、つい先日ネットで報道されていたものである。これは、草間彌生の作品ではない。ドイツの1万5千年前の洞窟から発見された石灰石である。連続した抽象的な水玉模様が描かれている。この洞窟からは、これと同じように描かれている複数の石灰石と壁画が発見されたという。一方、左の写真は、福岡市美術館の前に設置されている草間彌生の作品である。1万5千年前の抽象画とイメージが重なる。
この1万5千年の時を超えた二つには、何か共通するものがあるのではないか。それは人間の存在を超えた何かへの畏敬の念なのかもしれない。どれほどの時を経ようとも変わることのない、人間が持つ根源的な感覚である。

そんなことで、ちょっと現代美術を巡ってみようと博多駅周辺に出かけた。
右の作品は、博多駅の博多口・駅前広場に設置されている、ヘンリー・ムーア(英国の現代彫刻家)の「着衣の横たわる母と子」である。福岡市制100周年を記念して1988年に設置された。市民の募金で寄贈されたものだという。観るひとを、やわらかな曲線で包みこむような作品である。博多にようこそいらっしゃいました。博多はこんな心で旅人をお迎えしますとでも言っているかのようである。

JR博多シティの中のいたるところで目にするアートである。コンセプトは「都会にいながら自然を感じられるスペースを、みなさんの手で・・・」である。一般の人たちが描いた絵と画家・千住博さんのコラボ作品である。アートディレクターとして水戸岡鋭治さんも参加している。左の写真は博多口から入ってすぐのエスカレータのところである。ちなみに、エスカレーターでくるくる回っているのはSLの動輪である。形あるもの全てがアートだ。

これはアミュプラザ(JR博多シティ9F)のシネコン「T・ジョイ博多」の入口にある。流政之氏による「映画神像・九州」という作品である。 流氏は、米TIME誌に日本を代表する文化人として選ばれたほどの国際的彫刻家だという。毎年、日本アカデミー賞の受賞者に贈られるトロフィは、この映画神像を小型化したものであると作品の説明に書いてあった。
このブロンズ像は、映画文化の発展を祈念して設置されたそうだ。先ごろ開催された「アジアフォーカス・福岡国際映画祭」は、ここT・ジョイ博多のシアター8、9でほとんどが上映された。この映画神像にふさわしい催しであった。


この作品は、西日本シティ銀行本店(博多駅前三丁目)の前に設置されている。丁度、博多阪急の道路を隔てた前になる。ジョエル・シャピロというアメリカの彫刻家の作品である。
かなり大きな作品で、腕を大きく振りあげ、足を力強く踏み出している。TPP交渉参加に反対していた議員たちに是非観てもらいたいものだ。デメリットばかりを並べたてていたのでは何も解決しない。一方、日本の交渉力に一抹の不安もある。前を向いて歩き出した人たちにも、この作品のような力強さを期待したい。

この作品は、博多駅筑紫口から歩いて5分くらいの、福岡合同庁舎横・中比恵公園内にある。福岡市在住の鎌田恵務氏の作品「ハロー・アンド・グッバイ」である。国を超えた人と人の出会いと別れ、そしていつかまた会いましょうという気持ちを込めたものだという。
今、西日本新聞に「ほのぼの数学」という随筆が連載中である。執筆しているのは数学者・芳沢光雄氏である。その第9回の「じゃんけん」にはこんなことが書いてあった。じゃんけんの確率は同じではなく、グーが多く、チョキが少なく、故に「パーが有利」だという。これは人間の心理的なものがあるという。「ハロー・アンド・グッバイ」の時、人間が出すのは、警戒心をもつ「グー」ではなく、作りにくい「チョキ」でもなく、リラックスして自然に出せる「パー」なのである。

博多駅前では、丁度クリスマスの飾り付けの準備をしていた。まだオブジェを置いただけで、制作用のコードなども置かれていた。そこでこの未完成のオブジェを借景にして、私の作品として完成させた?オブジェが白いので、黒く長い影とのコントラストにした。この影を単に人間の形にしなかったところに、少しだけ工夫がある。芸術などとはほど遠いが、観るだけでなく、遊び半分で気軽にやってみるのがいい。後で思えば左手をもう少し滑らかな曲線にして、影の位置をもう少し右上に寄せたかったところである。どんなに稚拙でも、やってみればそれなりに芸術を身近に感じるようになる。

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