映画「猿の惑星・創世記」を観て 映画のページへ

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File No.111008

今回公開された「猿の惑星・創世紀」は、「猿の惑星」(1968年)の700年前に、地球に何が起きたのかを描いたものである。チャールトン・ヘストンの「猿の惑星」は、その逆転の発想とショッキングなエンディングで、強烈なインパクトを与えた。私は第1作しか観ていないので、考えもその範囲になる。今回の映画は、その第1作との関連を思わせるシーンがいくつもあった。例えばイントロで、チンパンジー(?)の集団を、人間が襲撃し捕獲するシーンがある。これは第1作では逆に、猿人の作物を食べに森から降りてきた人間が、猿人に捕獲され檻に入れられる。今回、新薬を開発した製薬会社の所長はジェイコブスだが、第1作を生み出した20世紀フォックスのプロデューサー、アーサー・P・ジェイコブスを意識したものだろうか。シーザーが壁に「JACOBS」と書いたのが印象的だった。

製薬会社の研究所に勤めるウィル(ジェームズ・フランコ)は、開発中のアルツハイマー病の新薬を、チンパンジーに投与し観察していた。ところがその中の一匹9番が、ルーカス・タワーというゲームで、人間を超える知能を示した。人間は最高で15回だが、9番は一回の投与で20回をクリアしたのだ。ところがこのチンパンジーが、お腹の子供を守るため突然暴れ出し、射殺されてしまう。ウィルは会社に内緒で、赤ん坊を家に連れ帰り育てることにした。それから3年、シーザー(アンディ・サーキス)と名付けられ順調に育っていた。シーザーは、母親の遺伝子を受け継ぎ、ルーカスタワーも人間並みの15をクリアし、チェスも名人クラスという驚異的な知能の発達を見せる。しかも、人間の微妙な感情をも読み取れるまでになっていた。ある日、ウィルの父であるアルツハイマー病のチャールズが、隣人とトラブルを引き起こす。それを助けようとしたシーザーは、隣人を傷つけてしまい、霊長類保護施設に入れられる。保護施設とは名ばかり、そこには飼育係の執拗な虐待の日々が待っていた。

相対性理論では、光速に近づくほど時間は遅くなる。これが第1作で登場するタイムスリップの理論である。2000年の時を経た結果、動物心理学者や、外科手術のできる猿人が地球に現れたのである。地球外知的生命体を探査するプロジェクトを「SETI」という。はたして宇宙の彼方に、人類のメッセージを理解できる知的生命体がいるだろうか。この地球上に我々人類が存在することで、その可能性を否定はできない。しかし、可能性のある惑星一つに、一つの知的生命体と言う訳ではない。我々人類を生み出した地球には、約1000万種の生物がいる。地球の歴史をさかのぼれば、こんなものではないだろう。生命誕生の条件が完璧に揃った地球に置いてさえ、知的生命体が出現する可能性は数千万分の1である。この環境なら人類と共に、陸上では猿人、海中ではイルカなど、いくつもの知的生命体が共存し、知的生活を送っていても不思議ではない。「猿の惑星」を観ているとそんなことも考えさせる。

近年、生命科学の発達は目覚ましい。人間は細胞にとって単に生き延びる手段であった。その人間が、IPS細胞で生殖細胞を作り、新しい生命を誕生させる技術さえも手に入れた。だが、そこには生命倫理という高い壁がある。その危機意識は映画の中でも「自然の在り方を壊してはいけない」と警鐘をならす。人間は本当にその知性によって厳しく律していけるのか、あるいは製薬会社ジェンシスのように、会社の利益を最優先させてしまうのか。新薬開発のカギを握るのは遺伝子である。ジェンシスの開発した新薬は、脳細胞を劇的に修復した。しかし反面、薬には宿命とも言える副作用がある。その副作用は「毒」になる。その新薬の「薬」の部分と「毒」の部分こそがこの映画を構成する重要なファクターとなる。
シーザーが群れを率い、カリスマ的リーダーになったとき、その堂々たる風格は必見である。
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猿の惑星・創世記
2011年・米/上映時間・1時間46分

監督:ルパート・ワイアット
出演:ジェームズ・フランコ、フリーダ・ピント